山口を襲った昭和13年の阪神大風水害2012年07月13日

 昨日の朝は散歩を断念した。一旦は傘をさして出かけたが、すぐに凄まじい風雨に襲われ、やむなく帰宅した。昨晩のテレビニュースを見ながら、その朝の同じ頃に九州地方を記録的な豪雨が襲っていたことを知った。熊本県南阿蘇村、阿蘇市、大分県竹田市の甚大な被害状況の映像が映されていた。1ヶ月前の「日本列島縦断の旅」の最終日に乗車した九州横断特急のコ-スを直撃したようだ。車窓から眺めた牧歌的な阿蘇の美しい風景を思い出しながら、目前の深刻な水害被害の映像に心を痛めた。
 今朝は有馬川沿いのいつも通りの散歩だった。水量の多い激しい流れの有馬川だったが水害にはほど遠い。それでも有馬川の水面を眺めながら、昨晩の阿蘇の水害被害の残像が有馬川の氾濫の記録を思い起こさせた。帰宅して「山口村誌」を紐解き、PC画像を取り出した。
 山口村誌には、「昭和13年7月4、5両日の豪雨は阪神地区特に六甲山を中心に大惨害をひきおこした。まして本村を流れている主な川は、六甲山にその源を発しているので、その河川の氾濫はものすごく、土砂・岩石・立木などの奔流にあって、橋梁を流失し、堤防を破壊し、耕地の埋没、人家の流失など、全く拱手の状態で、通信・電灯線などの途絶によって暗黒の中にこの水禍を見守るいばかりであった」と、その被害の実態が生々しく記されている。当時の模様も写真に残されている。掲載の画像は徳風会所蔵画像でいずれも有馬川沿いの被害状況を伝えたものだ。左側は明治橋付近の、右側は上山口久保縄手付近の画像である。