ロンドン五輪開会式---ありのままの英国の歴史---2012年07月28日

 ロンドンオリンピックが開幕した。四年に一度の祭典である。老境に入った今、ふとあと何回見聞できるかと思ってしまう。そう思った途端、見ておかねばと、開会式にチャンネルを合わせた。
 オリンピックの開会式はやはり多くの感慨をもたらすものだ。前回の北京でもそうした感慨を「中国という商品の壮大なコマーシャル映像」というテーマでこのブログに綴った。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/08/08/ 
 四年後のロンドンでの三度目の開会式だった。前回の北京五輪ではその露骨な「国威高揚主義」に鼻白んだ。ロンドンではさすがに洗練された大人の演出という印象はあったものの、それでもイギリスという国のアピールの場である点では変わりない。巨大スタジアムに再現された昔ながらのイギリスの田園風景で幕が開いた。見事な演出だ。ところがその牧歌的な風景に労働者風の人々が登場し、田園風景を片付けると、突如あちこちから巨大な煙突が突き出てくる。イギリスの風景を一変させた産業革命の始まりだ。それを象徴するかのように溶鉱炉から吐き出された溶けた鉄が五輪の輪を造りだす。
 この開会式冒頭の舞台をどのように受け止めればいいのだろう。産業革命はイギリス人にとって誇るべき出来事の筈である。にもかかわらずこの演出は、産業革命が豊かな自然と環境を破壊したとでも言いたげだ。とはいえその産業革命の成果が五輪に代表される今日の人類繁栄をもたらしたというメッセージも忘れない。開会式のフィナーレを飾ったのはビートルズのポール・マッカートニーの生歌「ヘイ・ジュード」だった。まぎれもなくビートルズこそイギリスが生んだ世界に誇る「現代文化」なのだろう。
 ロンドン五輪開会式は、中世から産業革命を経て現代に至るイギリスのありのままの歴史を冷静に演出したものだ。「国家」を色濃く演出した北京五輪のアンチテーゼを意識したのだろうか。参加した204の国・地域のシンボルに点火された炎が徐々に集約されて聖火台でひとつになる。平和をイメージした演出である。オリンピック憲章の神髄は「人間の尊厳」と「平和」ということに尽きる。今回の開会式がこの五輪憲章の神髄を忠実に表現していたように思えた。