労働団体の地域活動と高齢化対応2013年10月11日

 先日、日本最大の労働組合組織の大阪府支部の定期総会に出席した。大阪府労働委員会の労働者委員である私の出身組織の定期総会である。参与という肩書を貰っており、総会では来賓の一員として代議員席に向かい合う演壇横の席に案内された。
 開会後、支部長や来賓の挨拶が相次いだ。衆院選、参院選と続いた国政選挙での民主党の大敗を嘆き反省の弁が語られた。議事に入る前に来賓席一同は控え室に場所を移して懇談した。
 大阪市近郊の二人の市会議員、地域団体派遣役員、同僚の労働者委員などがメンバーだった。国政選挙での敗因が話題になり、地域活動の不足が語られた。しばらく拝聴していたが、自分の民生委員というもうひとつのスタンスから労働団体の議論とは少し違った視点で次のような発言をした。
 団塊世代をはじめ組合員たちが続々と定年を迎え否応なく地域社会に戻りつつある。仕事第一で現役時代を過ごした彼らの多くは、地域に足場がなく地域活動への参加は容易でない。他方で地域はどんどん高齢化が進み、ベッドタウンでの日常生活の不便さから、終の棲家の筈だった持ち家を捨て、都会の生活環境の整ったマンションに転居する事例が相次いでいる。ベッドタウンでの高齢者見守りや困り事支援の
インフラ作りが急務だ。片や地域活動を支えるボランティア組織は高齢化が進みメンバーの固定化が顕著だ。団塊世代たちが地域ボランティアに円滑に参加できる筋道づくりこそが今問われている。労組にとっても組合員たちの目前のテーマでもある。労組出身の地方議員や労組OBたちが地域団体役員等と連携してこうした活動に取り組めるよう労組も課題のひとつ取り上げてはどうか。超高齢化社会を迎えて労組や組合員OBたちがこの分野に貢献できる活動の積み重ねあってこそ選挙の際の地域活動に繋がるのではないか。

家内のいない二日間2013年10月12日

 今朝7時前に家内が一泊二日の小旅行に出かけた。実家のある岡山で営まれる親戚の法事に出席し、法事の後、仲良しだった学生時代の友人と倉敷で泊って観光とおしゃべりを楽しむという。義父母が亡くなって久しい。一連の法要も終わり、家内が実家に里帰りする機会も稀になった。むしろ息子の帰省や娘の里帰りを迎える世代になったというべきか。
 家内は昨年も同じ頃に学生時代の同窓会で二日ほど家を空けた。どちらかと言えば独りで宿泊を伴う外出は苦手なタイプだった彼女が、ようやくそうした過ごし方を楽しむようになったことを亭主も喜んでいる。昨晩の食卓で「旦那のことは気にせず、いつでも出かけたらいいから」と言わずもがなの言葉をかけた。
 私の方は、毎年恒例の旅行が2~3回ある。現役時代のOB会絡みや、地域のボランティア組織の懇親会などである。それはそれで家内にとっても、リタイヤ亭主との二人だけの生活になって思い切り羽を伸ばせる絶好の機会の筈だ。昨年の経験から言えば、私にとっても家内の留守は捨てたものではないという感がある。もちろん食事やら着替えやらを段取りしてくれている家内の気配りのお蔭もある。
 いずれにしろ、久々に我が家での束の間の独身生活が始まった。週末とあってとりたてて行事もない。さてどんな過ごし方を楽しもうか。

祭りの朝2013年10月13日

 6時頃に自宅を出て早朝散策に向かった。公智神社の秋祭りの朝である。思いついて公智神社の参拝を散策コースに組み込むことにした。山口郵便局前を通り有馬川東の緑道を歩いた。平成橋を西に折れて山口センター横から山口の旧街道を北に向かった。
 昨晩の宵宮で下山口の大小2台の壇尻が、鉦太鼓や掛け声に包まれて賑やかに運行した道だ。今は人気のない静寂の中で道路を跨いで立てられた御神燈を吊るす柱だけがその余韻を伝えていた。旧街道を進みお旅所前に出た。今日の昼過ぎには7台の壇尻が勢揃いし溢れるばかりの観客が埋め尽くす筈のこの場所にも人影はない。宮前通りを公智神社に向かった。竹細工の名匠だった人のお宅に御神燈がひっそりと吊るされている。公智神社の拝殿前で毎朝の日課に見えるご婦人の参拝姿があった。挨拶を交わした後、二礼二拍一礼した。本殿の祭壇前に並べられた寄贈のお神酒が、秋祭りの後の直会(なおらい)を盛り上げることだろう。
 祭りの朝の静寂の風景を歩いた。

怒涛のおしゃべり2013年10月14日

 昨日の夕方5時半頃に一泊二日で岡山に出かけていた家内が帰宅した。久々の二日間の束の間の独身生活が終了した。
 家内と二人の夕食の食卓が始まった。家内の口から次々と二日間の出来事が語られる。先月上京した際にお世話になった家内の従妹とも法事で再会したという。法事の後で待ち合わせた学生時代の親友との話題も尽きない。二人で楽しんだ倉敷観光やアイビースクェアーのホテルの話題、訪問した親友宅の様子、親友の嫁姑問題等々とどまることはない。ここはひたすら聞き役に徹すべしと、適度に相槌と合いの手を入れながら口撃をしのいだ。
 家内の怒涛のおしゃべりも、食事を終えた良き連れ合いがリビングに席を移すに及んでようやく幕を閉じた。

健やか赤ちゃん訪問の手応え2013年10月15日

 民生委員の役割は高齢者のお世話だけではない。児童委員というもうひとつの肩書もセットである。子どもたちの健全な育成を見守る役割もついて回る。今日、そちらの役割の柱でもある「健やか赤ちゃん訪問事業」であるお宅を訪問した。
 「健やか赤ちゃん訪問事業」は、民生委員・児童委員が、生後二か月を迎えた赤ちゃんのいるお宅を訪問し、お母さんや赤ちゃんの様子を伺いながら子育て情報をお届けする活動である。毎月の民生委員の定例会で担当地区に生後二か月の乳児ができた場合、その情報が伝えられ、子育て支援に必要な資料や冊子が渡される。4年前から市の事業として始まり、これまで21人の乳児宅を訪問した。
 今日訪問したのは、これまでお独り住まいだった高齢のご婦人宅に娘さんが乳児と一緒に転入されたお宅だった。20代の若いお母が門扉の前に姿を見せた。来意を告げて資料を説明すると、すぐに打ち解けた会話になった。「良かったです。関東から引越ししたばかりでこちらのことは何も知らなかったんです。これから色んな勉強をしたり子育ての情報を集めようと思っていたところなんで助かります」との嬉しい言葉がかけられた。保護者の名前がおばあちゃんと同性なので、それとなく事情を伺った。「離婚したんです。晴れてシングルマザーなんです」とあっけらかんとした明るい口調である。
 階段上の玄関先に、孫を抱いたおばあちゃんの姿が見えた。毎年高齢者訪問でお訪ねしている気丈なおばあちゃんである。「○○さ~ん!賑やかになって良かったですね。困り事があったら連絡してくださいね」と声を掛けてお家を辞した。
 明るいお母さんと気丈なおばあちゃんの組合せに、乳児の確かな育成を確信した。同時に今回の訪問でかけられた感謝の言葉をかみしめながら、この活動の手応えとやりがいを実感した。

台風と子ども心2013年10月16日

 10年に1度と騒がれた大型台風が、今日未明に少なくとも我が町周辺は何事もなく過ぎ去った。6時前に、不気味な黒雲に覆われて薄暗い散歩道を歩いた。時おり身体をすり抜ける強風が台風の余韻を残していた。
 幼い頃、台風は子ども心にある種のワクワク感をもたらしていた気がする。家の中という安全地帯に籠って外で吹き荒れる恐ろしげな台風に何とも言えないときめきを覚えたものだ。古い建付けの悪い木造平屋の家屋だった。建付けの悪さが強風にあおられていやでガタガタ、ヒューンヒューンと雨戸や壁板に唸り声をあげさせる。屋根や壁を打つ雨脚の猛烈さも猛烈であるほど怖いもの見たさの趣きがあった。台風来襲前に親たちがあちこちを釘を打ち付けたり、縄や針金で縛ったりしていた姿が懐かしい。
 今回の台風26号で伊豆大島では多数の死者も出たようだ。そんな被災者の気持ちを考えれば、こうした幼児の能天気な思い出を呟くのも風水害被害を体験しなかった者の不謹慎な戯言というそしりを免れまい。それでもやっぱり60年ほど昔の台風にどこか牧歌的な雰囲気があったことを思わずにはいられない。

怒涛のおしゃべり(その2)2013年10月17日

 3時過ぎにご近所の仲良しさん宅に出かけていた家内が、6時過ぎにようやく帰還した。最近、しばしば徒党を組んでいる3人組の女子会である。7時過ぎから我が家の夕食が始まった。食卓の話題はもっぱら家内の女子会報告である。
 ひとりの奥さんから、やりあったばかりの夫婦喧嘩の話がでたという。どうやらそのネタを3人で共有するために召集されたようだ。夫婦の食卓に美味しい献立を用意していたのに、直前にちょっとしたことで夫婦喧嘩になった。口論さなかに突然ご主人は、「食事はいらんッ!」と自分の部屋に閉じこもってしまった。せっかくのご馳走を子どもみたいにふいにして!と奥さんは憤懣やるかたない。「だいたい世の亭主は嫁とちゃんと話をしない。感謝の気持ちもない」という結論でお開きになった。
 たまに我が家でも顔を合わせて言葉も交わす奥さんである。家内を上回る饒舌さでウィットに富んだ言葉がポンポンついて出る。漫才の大助・花子の花子を連想させるタイプである。あの調子で口喧嘩になったら、自室に立て籠もりたくなるご主人の気持ちもよく分かると同情した。
 だいたい世の亭主はちゃんと話をしないのではない。ちゃんと話をする気持ちを、しゃべりすぎる嫁たちが萎えさせているのだ。聞くことよりしゃべることが夫婦の会話と勘違いしている節がある。感謝の気持ちがないわけではない。その気持ちを伝えることをためらってしまうシャイな世代なのだ。
 食卓でそんな気分を家内に伝えたわけではもちろんない。いつものように適度な相槌と合いの手でおしゃべりに応じたことは言うまでもない。ところが最近、家内の風当たりが微妙に緩んできた気がする。考えてみればこのブログを彼女も目を通している。シャイな亭主の素直な呟きをブログを通して受け止めているのだろうか。

困った時のNTTリモートサポートサービス頼み2013年10月18日

 公民館講座「有馬郡物語」の原稿作成に追われている。夕食後、パソコンに向かって続きの執筆に掛かろうとした。パワーポイントに入力していた有馬郡物語のデータが表示されない。「データが読み込めません」というエラーメッセージが表示され、データ部分が白紙のままでニッチもサッチもいかない。エラーガイダンスで「セキュリティーソフトのプロテクトを解除してお試しください」とある。インストール間もないセキュリティーソフトの解除方法もよく分からない。1カ月後の講座の半分以上のデータが読込み不能になったかと青くなった。
 こんな場合の強力な助っ人を契約している。NTTのリモートサポートサービスである。すぐに電話して担当者とつながった。事情を話し、リモートサポートを依頼した。担当者が私のPCディスプレイを一緒に見ながら操作してトラブル解決する24時間、年中無休のサービスである。インストール済のサポート用アイコンをクリックして担当者にも画面が見える状態になった。色々指示された操作を行ったり担当者自身が直接操作したりしたが解決しない。
 いよいよエライことになったと思案しながらふと思い出した。昼間にある会合用にこのノートPCをカバンに入れて持ち出した。帰宅後、周辺機器を繋ぎなおしたつもりが、外付けハードディスクを繋ぎ忘れていた。それを思い出してすぐに繋いでもう一度「有馬郡物語」をクリックした。ヤッパリ!ちゃんとデータは読込めた。公民館講座用の大事なデータなのでPC本体がクラッシュした時のデータ喪失のリスクを避けるため外付けHDにデータを納めてそこから直接編集していたのだ。
 つないだままの電話口で担当者に「解決した」ことを伝え、恥を忍んで事情を話した。もちろんひらあやまりにあやまった。担当者の却って恐縮するような返事が心地よい。NTTリモートサポートサービス、お主できるなッ!

高齢ストーカー2013年10月19日

 昨日の読売新聞朝刊の社会面に衝撃的な記事が掲載されていた。「高齢ストーカー10年間で3.8倍」という大きな見出し文字が躍っていた。記事には「増加傾向にあるストーカー被害の中でも、60歳以上が急増している」とある。2003年からの10年間に60歳以上のストーカーが右肩上がりに急増しているグラフも掲載されている。加害者のほとんどが男性で、「死別や離婚で独り身になった男性が、年下の女性に執拗に交際を迫るケースが目立つ」という。
 なぜ高齢男性がストーカー行為に走るかについて、ストーカー被害者の支援を行うNPO法人理事長のコメントがある。「競争社会を生き抜いてきた団塊世代を中心とする男性には、今なお『男性優位』の考え方が残っていることを要因の一つに挙げる。(略)『老い先短いから』と自暴自棄になったり、『青春を取り戻したい』と思ったりした時に、独善的な考えに陥り、そのはけ口を女性に求めてストーカー行為に及ぶ人が多いようだ」という。「女性に比べ、退職後の男性は地域行事など新たなコミュニティーに加わるのが苦手で、社会的に孤立しやすい」と犯罪学の大学教授も指摘し、「社会全体で孤立を防ぐ環境を整える必要がある」というコメントで記事を結んでいる。
 超高齢社会のこうした負の側面がいよいよ取り上げられだしたと思った。一方でこうした取り上げ方に何か違和感を感じた。「高齢化とは何か」「超高齢社会とはどういう社会なのか」という点を考えておく必要があると思った。折に触れこの点を記事にしてみたいと思う。

怒涛のおしゃべり(エピローグ)2013年10月20日

 昨日の夕食の食卓である。缶ビールの酔いも手伝って先日のブログで女子会3人組の話題を取り上げたと家内に漏らした。俄然興味を持ってすぐに読んでみると言い出した。下手なことを書かれて仲間うちでひんしゅくを買ってはかなわないとでも思ったのだろうか。家内がパソコンに向かっている間、どんなリアクションになるのか多少不安ではあった。
 ところが反応はすこぶる良い。「これ読んだら○○さんの旦那さん!喜ぶと思うわ」と主役だった奥さんのご主人の気持を忖度している。「何枚かプリントして」とまで言う。仲間内に読ませるつもりのようだ。
 夕食後、届け物があるといって、ご近所のもう一人の奥さん宅に出かけた。意外と早い帰還だった。しばらくして家内の携帯にメールが届いた。自分で読んだ後、私に携帯が渡された。ご近所の奥さんからの例のブログについての感想だった。これまたすこぶる評判がいい。「ほんとに上手に私たちのおしゃべりを表現されていますね。主人が男のホンネをよく捉えていると感心して何度も読み返していました。主人に腹もたつこともありますが、主人も私と同じ気持ちなんでしょうね」とのこと。
 ブログ記事がリタイヤ世代の夫婦の相互理解に多少なりとも貢献していたことに溜飲を下げた。もちろん我が家の夫婦関係への貢献も然りである。同時に仲間内にプリントして読んでもらうという家内の意外な行動に記事への積極的な共感を垣間見た。