「里山資本主義」(中間総括―里山資本主義の極意―)2015年11月28日

 二章を終えたところで、共著者・藻谷浩介しによる「中間総括」が述べられる。「里山資本主義とは何か」が解説される。
 冒頭、日本の「加工貿易立国モデル」が、資源高による燃料代の高騰で危機に瀕していると指摘する。日本が海外に支払う燃料代は年々増えており、20年前には年間5兆円に満たなかったが、中国、インド等の経済発展で資源価格が高騰し、今では年間20兆円を超えている。その結果2011年には14兆円の貿易黒字がマイナス2兆円の貿易赤字に落ち込んだ。資源を買って製品にして売るという加工貿易立国モデルが逆ザヤ基調になってきた。
 国全体として化石燃料代で貿易赤字に陥っている日本では、一部産業の既得権を損なってでも、自然エネルギーの自給率を高めることが重要だ。だが、既得権がよってたかって政策を骨抜きにしてしまう我が国では、市町村単位、県単位、地方単位での取り組みを先行させることが、事態の改善につながる。
 「里山資本主義」とは、お金の循環が全てを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。
 里山資本主義の根底には、マネー資本主義の根幹に逆らうような次の三つのアンチテーゼが流れている。①「貨幣を介した等価交換」に対する「貨幣換算できない物々交換」の復権 ②「規模の利益」への抵抗 ③分業の原理への異議申し立て。
 人というものの存在の根幹に触れる問題が、「マネー資本主義」対「里山資本主義」の対立軸の根底にある。マネー資本主義に染まり切った人の中には、自分の価値は稼いだ金銭の額で決まると思い込んでいる人がいる。違う。人は誰かに「あなたはかけがえのない人だ」と言ってもらいたいだけなのだ。「何かと交換できない、比べることもできない、あなただけの価値を持っている人なのだ」と誰かに認めてもらいたいだけなのだ。持つべきものはお金ではなく人との絆だ。人としてのかけがえのなさを本当に認めてくれるのは、あなたからお金を受け取った人ではなく、あなたと心でつながった人だけだからだ。
 最後の結びに大いに共感した。日頃感じていることを見事に「言葉」にしてもらったと思った。

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