山口公民館講座「江戸時代の貢租」2015年10月01日

 昨日、山口公民館講座を受講した。「江戸時代 貢租の賦課について」をとテーマとした講座で講師は面識のある名来歴史研究会の会長である。会場の山口公民館には名来の住民をはじめ33名の郷土史ファンが受講した。
 研究会は、山口町の郷土史の大家・橋本芳次氏を講師に年6回程度の勉強会を重ね今年17年目を迎えているグループである。昨年まで講師の橋本氏が講座を開講されていたが、齢90を超える高齢の身で今年は研究会の会長にバトンタッチされた。
 講座はプロジェクターを使って、江戸時代の山口町の貢租の実態を山口町郷土資料館所蔵の古文書を紹介しながら丁寧に解説された。
 三日後には同じ会場で私の公民館講座「隣町風土記・道場」が開講する。講座を終えて会場を出た時、受講者のひとりから声をかけられた。見覚えのある顔だと思ったら毎回受講してもらっている同じ住宅街の方だった。「11月の道場散策講座を申し込んだら定員いっぱいだった。やむを得ないので別途ひとりでコースを辿りたいが、マップのようなものはないか」とのことだった。ありがたい申し出に喜んで当日配布予定の散策マップ画像をメール送信させていただくことにした。

風情のある膳所の街並みを散策2015年10月02日

 先月初めに娘夫婦が滋賀県の野洲市から大津市膳所地区に転居した。娘夫婦は共稼ぎである。転居後の片付けが滞っているようだ。昨日、家内が娘宅に片付けの手伝いに行くというのでつきあった。朝7時過ぎに娘宅に到着した。片付けの手伝いに父親は、鼻っからアテにされていない。いても邪魔になるだけである。歴史ある膳所の街並みを散策してくるという父親を母娘は即座に送り出してくれた。
 最初に訪ねたのは義仲寺だった。木曾義仲の塚のある寺ということで境内には芭蕉の墓と並んで義仲の供養塔があると案内板に記載されている。ところが8時前に訪ねたものの9時からの開門でパスするしかなかった。
 北に向かい湖岸道路を渡ってお城のような博物館・琵琶湖文化館の東側の湖岸に出た。ここから東に向かって湖岸沿いの遊歩道をまっすぐ進む。彼方に見える琵琶湖大橋の上に浮かんだ山並みが美しい。にほの浜観光桟橋があった。ミシガンクルーズの発着場である。プリンスホテルのノッポビルを過ぎると直角に南に下る。近江大橋の美しいフォルムが飛び込んでくる。遊歩道に沿って大橋の下をくぐった先に、お目当ての緑に包まれた膳所城跡公園があった。
 琵琶湖に突き出た半円状の公園は、膳所城の本丸跡だったようだ。その東側には二の丸御殿や三の丸が復元されている。正門横に観光用案内板があった。公園の南に東西に広がる立地に膳所城ゆかりの10カ所の神社仏閣の観光スポットが掲載されていた。これは見逃せないと意を決して踏破することにした。
 和田神社、縁心寺、膳所神社、安昌寺、篠津神社、若宮八幡宮、本多神社とひたすら歩き続けた。膳所神社には本丸大手門が、篠津神社には北大手門が移築されて残されている。最後の本多神社を参拝した後、さすがに疲れて京阪電車で帰ることにした。京阪石山坂本線の瓦ヶ浜駅から乗車し膳所駅で下車して娘宅に帰り着いたのは10時45分だった。約3時間、2万歩もの散策だった。

NHKクローズアップ現代「国連70年② "誰も置き去りにしない"世界を目指して」2015年10月03日

 先日、NHKクローズアップ現代の気になる番組を観た。「"誰も置き去りにしない"世界を目指して」というタイトルの国連の取組みを扱った番組だ。
 意欲的な番組だった。番組紹介記事は次のように告げている。『世界で激しさを増す過激組織の活動。今も止むことがない民族間などの対立。国連は、「格差」と「貧困」、さらにそれらの根源でもある環境破壊など地球規模の問題を根本から解決しない限り、事態の打開にはならないと訴え続けてきた。そして国連は、設立70年の今年、新たな野心的な目標を掲げる。その名は「SDGs=Sustainable Development Goals(持続可能な発展目標)」。「誰も置き去りにしない(no one will be left behind)」を基本理念に、2030年の世界を見据えた新たな指針だ。』
 「持続可能な世界へ 問われる先進国」というテーマでは、国連が打ち出した目標が、地球の持続可能性にも注目し、途上国だけでなく先進国にもこれまでの経済成長の在り方を見つめ直すことを求めている。日本など、先進国型のライフスタイルを、世界人口の6割以上を占める貧困にあえぐ国々が求めれば日本のようなスタイルを目指すことになる。それでは持続可能な世界は無理だ。
 国連がこんな活動目標を掲げていることを初めて知った。その構想は壮大で理想的すぎる気がするが、目指す方向性は大いに共感できる。世界を跋扈するグローバル資本主義によって地球の持続可能性が根底から崩れつつある。物質的豊かさを至上価値とする先進国型のライフスタイルが見直されなければならない。そうした問いかけを現代の国際機関の最高権威である国連が行ったという点にこそ意義がある。久々に国連の意義を見直す契機をもたらした番組だった。

公民館講座「隣町風土記・道場」2015年10月04日

 昨日の午後、山口公民館講座「隣町風土記・道場」を開講した。一般受講者32名に公民館活動推進員7名を加えて計39名の方に受講して頂いた。昨年に引き続き、今回も名塩から名塩探史会の3名の方にも受講して頂いた。
 今回の講座テキストはパワーポイントで32シートにも及んだ。過去7回の座学で最もボリュウムのある講座になった。それだけ道場に語るべき内容が豊富であることを物語っている。90分の講座で果たして語りつくせるかと危惧した。時計と相談しながら前半を端折り気味に後半は比較的詳しく進め、結果的に質問時間を15分ほど残して終了した。
 講座の最後はいつものようにこの講座を通して「伝えたいこと」を語った。道場という「歴史を刻む宿場町」が日本史の表舞台に数々の歴史を記し、歴史上の人物たちが足跡を残したことを伝えた。縄文遺跡、行基、北条時頼、南北朝争乱、秀吉判物、伊能忠敬測量等々である。
 また地形が育む風土の違いを山口や名塩と比較しながら語った。三つの川とその川沿いの旧街道の合流地ゆえに人の往還の要の街として栄えた街である。その最盛期の江戸時代には三田も凌ぐ商業地だった。その豊かな財力が多くの神社仏閣を擁し人の往来を加速化した。  翻って現代の道場は、世帯数、人口で山口、名塩に大きく後れを取っている。山口、名塩が住宅開発に積極的に取り組んだのと対照的に道場では開発に消極的だったかにみえる。歴史や格式へのこだわりが開発をためらわせたのだろうか。そのこと自体の是非は問えない。個人的には伝統文化や歴史的資産を数多く残した道場への共感は深い。

社協福祉講座「地域で考える認知症サポート」2015年10月05日

 昨日、社協分区主催の福祉講座「シリーズ・基礎から学ぶ認知症講座」2回目の「パネルディスカッション・地域で考える認知症サポート」が41名の参加者を得て開催された。進行役のコーディネーターは、市社協地区担当・高田さんである。
 最初に助言者のNPO法人つどい場さくらちゃんの丸尾理事長から基調報告を頂いた。10年以上に渡る母、兄、父の在宅介護の経験が豊富な示唆に富んだ事例を挙げながら語られる。その介護体験が11年前のつどい場づくりの原点である。介護に関わる人たちへのつどい場をベースとした様々な支援活動の現場報告が歯に衣を着せないホンネのトークで語られる。「介護保険施行で町からお年寄りの姿が消えた」「送迎車は拉致車?」「認知症治療と称する投薬の弊害」「徘徊でなく迷子」「子供に迷惑をかけると思わないこと。子どもたちに自分の老いを見せ、死に方を見せることこそが大切」等々。後半は、TBS報道特集取材のDVDの放映だった。永年のつどい場利用者の訪問医師とタッグを組んだ最後の看取りのシーンは感動的だった。
 パネルディスカッションに移った。自治会、老人会、社協分区、ボランティアセンター、民生委員の各代表者からそれぞれの組織や役割を通じての認知症サポートに関わるコメントや自らの介護経験などが語られた。私も民生委員や福祉ネット事務局長の立場から発言した。
 2回目の認知症講座が予定時間を15分オーバーして終了し、社協副分区長として締めくくりの挨拶をした。「今回の講座が福祉ネットとの連携で従来の枠を超えて大勢の参加者を得られた。この地区での初めての認知症講座開催を認知症サポート元年の取組みと考えたい。地域の認知症サポートを社協分区の第8次地域福祉計画の目標「誰もが安心していきいきと生涯を暮らせる共生の町」の枠組みを通して具体化をはかりたい」等をコメントをした。

高齢者実態調査の訪問先で故人の遺影に手を合わせた2015年10月06日

 今年も民生委員の最大の活動である高齢者実態調査の時期を迎えた。9月の民児協定例会で資料を受け取り、昨日から調査を開始した。昨年に比べ訪問件数は9軒増え192世帯となった。対象の何人かの方が亡くなったが、それ以上に65歳を迎えた方の人数が多い。高齢化は着実に進行している。
 永年車イス生活を送られていたご主人が昨年亡くなられたお宅を訪ねた。毎年ご夫婦と玄関先で雑談を交わし懇意にしていたお宅である。奥さんからぜひお参りして下さいと仏壇のある部屋に招かれた。「10年前の写真なんですが主人も気に入ってまして・・・」という声を背に、笑顔のVサイン姿の遺影に手を合わせた。しばらく思い出話をした後、「永年の介護生活、本当にお疲れ様でした」とねぎらいの言葉を掛けて辞した。民生委員という役職の枠を超えて迎えて頂いたという想いが募った。この役職を引き受けてよかったと思える活動のヒトコマだ。

さらば立ちション!エピローグ2015年10月07日

 さらば立ちション!を宣言し、即実行に移してから一カ月が過ぎた。以来、あちこちの酒席の与太話で話題にしている。当然ながら主婦歴の永い女性陣からは好感をもたれる。反面、リタイヤオヤジからは概して評判が悪い。後期高齢者たちにはそれほどでもないが、リタイヤ直後の若手?からは総じて顰蹙を買うことが多い。
 よく聞くと、夫婦二人の老後生活が永いほど亭主族は白旗をあげて立ちションとおさらばしているようだ。リタイヤ直後のオヤジたちは現役時代の力関係を過信して今尚「男の沽券」にこだわっている。
 ところでなぜ亭主のリタイヤとともに洋式トイレの立ちション紛争が勃発するのだろう。考えてみれば当然である。嫁からすればある日突然亭主と称する嵩高い存在が、それまで我が世の春を謳歌していた我が家に居座るわけである。それだけでもうお先真っ暗な気分に襲われる。そんな気分で洋式トイレの掃除をしていて異変に気づくのに時間はかからない。亭主の現役時代とは比較にならないほどの汚れや匂いに愕然とする。日がな一日我が家で過ごす亭主である。現役時代との使用頻度の違いは歴然としている。ただでさえ存在自体がストレスなのだ。そのストレスの塊が更にトイレの汚れと匂いを拡散させているのである。
 亭主のリタイヤ後の夫婦生活は家事分担はイーブンではないか。平等の家事分担までは無理でもせめて嫁の過大なストレスには応分の理解があって然るべきではないか。かくして、立ちションを辞めるかトイレ掃除を受入れるかという選択肢を非情な覚悟で亭主に迫ってくる。この迫力に多くの善良な亭主族は白旗を掲げるほかはない。

高橋克彦著「天を衝く」②2015年10月08日

 高橋克彦著作の全三巻「天を衝く」の第2巻を読んだ。第1巻が宗家の南部家の棟梁が短期間に2代続けて不審死することで内紛が一気に表面化する場面で幕を閉じた。
 第2巻は、南部家の内紛が九戸政実と敵対する南部信直が宗主となる形で決着する展開で幕を開ける。自らの類い稀な力量が狭い南部家の中ですら受け入れられないまま北の鬼・政実は領土の南に勢力拡大をはかり南部家からの自立をめざす。
 政実が狭い南部で煩悶している同じ頃、日本の歴史は大きく塗り替えられつつあった。織田信長が天下統一を目前にして本能寺の変で倒れ、その後を継いだ豊臣秀吉が着々と統一の歩を固めその矛先は奥州にも向けられつつあった。
 南部家棟梁・信直は、いち早く秀吉と結び南部家の安泰をはかると同時に政実を牽制する策を達成する。秀吉の数の力で臣従を迫る手法を潔しとしない政実は、陸奥の精神の自立をめざして南部家との決別を決断する。
 秀吉の小田原攻めが始まった。奥州各地にも参陣を求める書状が届けられ、秀吉の代官の役割を喜々として受入れた信直は、政実に対しても圧倒的優位に立つ。秀吉は小田原城制圧を果たした直後に、奥州仕置きを実行するため会津に軍を進める。領地没収、配置換え、検地等の苛酷な奥州仕置きで奥州の勢力図が相次いで塗り替えられていく。
 奥州仕置きを終えて秀吉軍がわずかの軍を駐留させて引上げた時、伊達政宗の使嗾とおぼしき反秀吉勢の蜂起が勃発する。奥州代官を自認する信直の動揺を描きながら第2巻が幕を閉じる。それは最終巻に向けての波乱の幕開けを告げているようだ。

高齢者実態調査の確かな手応え2015年10月09日

 今年度の民生委員の高齢者実態調査を初めて4日が過ぎた。訪問予定の192軒の半数を超えた。1日平均4時間近くをかけ約30軒を訪問するというペースである。一軒当たりの懇談時間は平均8分程度であり従来の倍近くを要するようになった。
 今年で8年目の訪問である。新規訪問先は年々増えているものの、毎年訪問するお宅が多数を占める。顔馴染みも増え、地域活動で交流のできた方も増えてくる。勢いおざなりに所用を済ますだけでは済まない。雑談に花が咲きプライベートな打ち明け話や悩み事相談にも花が咲く。
 肺癌で亡くなったご主人の喫煙を巡る絶えなかったいさかいが吐露される。先頃緊急入院したご主人の安否を憂う心情が語られる。70過ぎまで引き留められた苛酷な現役生活を終えた途端に下半身麻痺に襲われ楽しみだった老後生活が悲惨なものになっているというリタイヤオジサンの慚愧の声も聞いた。親しかった隣家の同世代の主婦の突然の死で精神的ショックを支えきれないという団塊世代の主婦の嘆きにも相槌を打つ。
 人生の機微に触れる様々なドラマを垣間見る。日常的にお付合いがあるわけでもない相手に語られる打ち明け話は、民生委員ならではの信頼感なのかもしれない。それだけに8年間に渡る訪問がそれなりの人間関係を積み上げてきたという言う確かな手応えを実感した。

高橋克彦著「天を衝く」➂2015年10月10日

 高橋克彦著作の全三巻「天を衝く」の第3巻・完結編を読んだ。第3巻は九戸政実の南部家棟梁・信直への離反を告げる場面で幕を開ける。それは実質的には南部家への宣戦布告であり、その背後の権威である秀吉に対する造反の表明でもあった。
 政実の南部家との決別の報を聞き、政実に心を寄せる南部家に属する豪族たちが相次いで九戸党の本拠・二戸城に駆けつける。その兵力は総勢6千余りにも膨れ上がる。緒戦の戦いを政実の卓越した策で勝利した九戸勢は南部家の本拠・三戸城包囲網をまたたくまに築いてしまう。その報を知るや信直は即座に三戸城を捨て包囲網脱出を図る。各地に本拠を移しながら勢力維持を保つ信直と雌雄を決することができないまま戦況は膠着状態に陥る。
 そんな情勢下で秀吉の政実討伐のための信直援軍派遣の命令が下る。関白秀次を総大将とする5万もの派遣軍であり周辺豪族の援護を合わせると10万にも及ぶ大軍である。この報を受け政実は堅牢な二戸城に拠って立つ籠城策を採る。そのため1万5千にも膨らんだ九戸党に加担する勢力を長期の籠城に備えた兵糧確保のため5千にまで圧縮する。ここに至って5千の兵力で籠城する政実軍に10万の大軍で包囲する秀吉軍という前代未聞の攻防戦が火ぶたを切る。わずか5千の兵で秀吉に喧嘩を売った男・九戸政実の登場である。
 秀吉軍の奇襲攻撃や総攻撃を幾度も跳ね返し政実軍は優位な情勢のまま籠城戦を維持する。とはいえ10万の軍を退けても天下取りを終えた秀吉軍には更に10万が投入できる現実は変わらない。政実は最終的に5千の兵の命と引き換えに自身の首を差し出すという和睦に応じる決断を下す。秀吉の小田攻めの前に小田軍はなすすべもなく戦わずして降伏した。そんな秀吉相手に政実は10万もの大軍の城攻めを幾度も闘い抜いた。それこそが秀吉の治世に対する天下に向けての異議申し立てだった。陸奥の魂を天下に知らしめた。
 最終巻の秀吉軍との攻防は圧巻だった。優位な情勢下で敢えて和議を受入れることの意味についても説得力のある描写で納得させられた。九戸政実という歴史上の人物の途方もないスケールを満喫しながら読後の余韻に浸った。