今年も自治会文化祭講座「有馬郡物語」をエントリー2018年09月30日

 自治会文化祭が11月1日~4日にコミュニティセンターと自治会館の2会場で開催される。その第1回関係者打合せ会が関係団体と出品者を集めて開催された。2年前からこの会議に出席している。地区社協代表ということもあるが文化祭講座の講師という関わりもある。
 2010年から6年間に渡って山口公民館で15回に及ぶ「山口風土記探訪講座」を開講した。室内座学9回、屋外散策6回の講座に延400名の方の受講があった。
 2年前に講座を終了した後、初期の講座を受講し損ねたという方からもう一度開講してほしいという声が寄せられた。そこで2年前に当時の自治会長とも相談して自治会文化祭で「文化祭講座」として開講することになった。2年前の第1回は「北六甲台の今昔」をテーマに開発前の住宅街の史跡や隣接する旧・丹波街道の一部である平尻街道を紹介した。昨年は対象エリアを拡大し「ふるさと山口」をテーマに山口の歴史、自然、風物を紹介した。
 3回目の今年はさらに枠を広げて山口が古来より属していた有馬郡を紹介しようと思っている。有馬郡のプロフィール、歴史、有間皇子、旧街道、鉄道等の紹介する「有馬郡物語」である。
 第1回会議で調整の結果、11月1日の文化祭初日の10時からの開講が決まった。多くの皆さんの受講を期待したい。

地元小学校でプレゼン2018年05月24日

 地元小学校の30周年記念事業の一環で「ふるさと山口こんなまち」をテーマにプレゼンした。子どもたちに小学校のなりたちを含めた地域の話をしてほしいとの依頼だった。
 11時15分に会場である小学校のオープンスペースの教室に出向いた。準備されていたプロジェクターに持参のノートPCを接続しスタンバイした。チャイムが鳴って隣室から6年生の子どもたちが次々に会場に姿を現した。中のひとりの女の子から「お久しぶりです」と声をかけられた。お隣りの娘さんだった。
 休憩終了のチャイムが鳴って3クラス80人余りの児童が床に座って待機した。6年生担任の3人の先生に教頭先生も姿を見せている。11時45分から30分あまりに渡ってプロジェクターによる説明を行った。「山口はどんな町?」「自然と生き物」「伝統(行事&産業)」「蒸気機関車が走った町」「さくらまつり」「伝えたいこと」といった内容である。
 一方的な話にならないよう、時に「この写真の場所が分かる人?」「高齢者というのは何歳から?」「郷土資料館に行ったことがある人?」などの質問をした。そのつど挙手をしたり答えを言ったりしてくれる。
 プレゼンを終えて教頭先生と一緒に校長室に向かった。校長先生は「聴きにいくつもりだったが直前に入った急な電話の対応に追われていけなかった」とのこと。「子どもたちにふるさとを学んでもらえるいい機会を与えてもらった。機会があればまたお願いしたい」と挨拶して辞した。

故・吉田和男氏の遺志を継承した雑誌の発刊2018年01月31日

 神戸市北区在住の国鉄有馬線研究者のN氏と何度かお会いして懇談した。昨年8月にはS氏が鉄道専門雑誌に国鉄有馬線の特集記事を執筆されるとのことで、私が所蔵している故・吉田和男氏の有馬線の研究成果である資料を一括してお貸しした。先日、N氏が来訪されN 氏の執筆記事が掲載された雑誌「レイル No105」をお持ちいただいた。
 初めて手にした「レイル No105」は予想以上に立派な雑誌だった。A4版98頁でふんだんに列車写真を掲載した定価3600円の高価な書籍である。N氏の執筆記事「国鉄有馬線 時代に翻弄された薄命の鉄路」は22頁に渡り、写真55点、図表9点が納められている。
 記事内容は大きく”国鉄有馬線の全貌の解説部分”と”線路跡の現状を辿った部分”に分かれている。更に全貌の解説では「有馬線の概要」「有馬線の経路」「有馬線の各駅」「有馬線で使用された機関車」「列車の運行形態」「有馬線の鉄橋」「その後の有馬線」といった項目で構成され、先人の研究者たちの記述も織り交ぜながら有馬線研究の集大成ともいうべき内容に仕上がっている。記事前後の「初めに」と「終りに」には執筆に当たって資料や情報提供の協力を得られた関係者への謝辞が記され、私と故・吉田和男氏の氏名も記載されている。
 また”線路跡の現状”ではN氏自身が三田駅から有馬駅跡までの廃線跡に沿って丹念に辿り、撮影された写真中心にビジュアルに紹介されている。
 国鉄有馬線に関心のある方にとっては必見の記事である。個人的にもかつて山口公民館講座で「国鉄有馬線」を開講した。今後住宅街の文化祭等でも開講の機会にはぜひこの雑誌と記事を紹介したい。

自治会文化祭講座「ふるさと山口」2017年11月04日

 住宅街の自治会主催文化祭が始まった。二日目の10時からは私の文化祭講座「ふるさと山口」だった。昨年に続いての二度目のふるさと講座である。
 会場のコミュニティセンターに45名の受講者が席を占めた。昨年の65名の受講者からみれば少し寂しかったがまずまずの受講者数である。今年も昨年どうよう男性が56%を占め郷土史への男性の関心の深さが窺えた。
 今回は「ふるさと山口」をテーマに、プロジェクターを活用して山口町の豊かな自然、歴史と風土の全貌を豊富な画像でビジュアルに伝えるという内容だ。「山口町の概要」「自然と生き物」「歴史と伝統」について32枚のシートを約1時間でプレゼンした。
 私の講座ではいつも最後に「伝えたいこと」を述べる。今回も「ふるさとを知らない子どもたち」に「ふるさと」を伝え学んでもらえる機会の大切さと、「ふるさと山口を共通項とした新旧住民の垣根を越えた交流」を訴えた。そうした営みをとおして山口の「豊かな自然、歴史、伝統の継承」が欠かせないと思っている。

地域の文化祭講座「ふるさと山口」の案内チラシ2017年10月08日

 文化祭の季節がやってきた。我が町の文化祭も自治会主催で11月2日から4日間にわたってコミュニティセンターと自治会館を会場に開催される。
 昨年、この地元文化祭に「ふるさと講座」を「我が町の今昔」をテーマに初めて開講した。文化祭初日(文化の日)の開講には会場いっぱいの65名もの受講者があった。その内約60%が男性で、リタイヤしたオジサンたちがあらためて我が町に関心を寄せていることを窺わせた。
 山口公民館講座を2010年から7年間に渡って15回開講した。その内9回は座学でそのパワーポイントデータが手許に残されている。これを活用して地元文化祭での「ふるさと講座」の開講を思い立った。
 昨年に引き続いて今年も10月3日の文化の日の朝一番の開講が決まった。今年のテーマは地元住宅街からエリアを広げて「ふるさと山口」である。自治会回覧用の講座案内チラシを作成した。

故・吉田和男氏の労作の一部が出版物に2017年08月16日

 昨年12月に私のHP「にしのみや山口風土記」の「国鉄有馬線」のサイトを見て連絡を頂いたN氏とお会いした。神戸市北区在住の方で、今は新興住宅地在住ながら実家は道場町の旧家らしく私と同年代の父さんは元・国鉄マンだったとのこと。父親譲りの列車と有馬線への想いが言葉の端々に窺えた。その時は有馬線に関する情報交換に終始した。もっとも私の方はご近所の知人で有馬線の研究者だった故・吉田和男氏から譲られた資料を紹介するだけだったが。
 その後、N氏は出版社とのやりとりで有馬線研究の集大成ともいうべき著作の出版が具体化したようだ。そのためあらためて吉田氏の資料の貸与を要請され一括してお貸しした。
 そんな経過の後、昨日N氏から出版用原稿が貼付さたメールが届いた、。PDFファイルの原稿A4で19頁にも及ぶもので、その内容は、有馬線に関する多岐にわたる調査結果を記述したもので有馬線の全貌を伝えて余りあるものだった。
 「終りに」と題した記述には「貴重な資料を残していただいた西宮市の故・吉田和男様、その貴重な資料をご提供くださいました西宮市の〇〇〇〇様・・・(略)・・・の皆様にこの場をお借りし、厚く御礼申し上げます」と私の氏名も記した丁重なコメントがあった。
 国鉄有馬線に興味を持つ人には貴重な著作になるに違いない。そうした著作に故・吉田和男氏の労作が引き継がれたことに感謝した。私のHP上の記述だけでなく出版物にも引き継げたことで吉田氏から譲られた私の使命も幾分なりとも果たせたと思えた。

国鉄有馬線サイトからのアクセス来訪者2016年12月07日

 20日ほど前に見知らぬ方からPCメールを頂いた。私のHP「にしのみや山口風土記」の「国鉄有馬線」のサイトを見ての連絡だった。神戸市北区の神鉄道場駅近くに在住のN氏という方だった。
 メールの内容は次のようなことだ。「趣味の鉄道模型作りで有馬線の列車を再現したいが詳細が不明だ。資料等で詳細を教えてもらえないか」。メール内容からは有馬線の車両情報は私よりはるかに詳しく、私の及ぶところでないと思われた。その旨返信するとサイト記載の故・吉田和夫氏の資料に言及されたメールが返信された。慌てて仕舞いこんでいた吉田氏から譲り受けた資料を点検した。吉田氏はご近所に在住されていた屈指の有馬線研究者だった。晩年に交流があり亡くなる前に私に資料を託された。さすがに大先輩の研究に抜かりはなかった。有馬線車両に関する詳細資料も散見された。あらためてその旨伝えてお会いしての情報交換を提案した。すぐにぜひ会いたいとの意向と日程調整の返事がきた。
 今週の日曜日の午後、私の在住する住宅街のカフェでお会いした。自己紹介し合ったところ40歳のN氏は、今は新興住宅地在住ながら実家は道場町の旧家らしく私と同年代の父さんは元・国鉄マンだったとのこと。父親譲りの列車と有馬線への想いが言葉の端々に窺えた。早速資料を交換した。私が持参した吉田氏ファイルの中から数枚が貴重な資料ということでコピーしてお渡しした。N氏からも作成済の「有馬線を走った列車たちについて」と題するレポートを頂いた。
 HPにしのみや山口風土記を立ち上げて10年余りとなる。初めてこのサイトにまつわる本格的なオフ会を経験した。掲載画像はN氏からいただい資料の一部である。

公民館講座「有馬散策」2016年11月11日

 山口風土記公民館講座「第15回隣町風土記・有馬散策」を開講した。9時30分に有馬温泉バスターミナルに参加者17名と公民館活動推進員4名が集合した。
 すぐ南の中心部の金の湯、温泉寺、湯泉神社、極楽寺を巡った後、今回講座の特別企画である念仏寺を参拝した。本堂でご住職から有馬温泉を愛した秀吉亡き後の有馬の人々の徳川政権との関わり方等の興味ぶかいお話を伺った。その後、本堂裏手の庭を縁側から眺めながら有名な沙羅双樹の古木や両脇の雀石、蛤石の逸話をお聞きした。
 銀の湯、紅梅の古木のある林渓寺を巡った後、今回講座のメインスポットである瑞宝寺公園まで足を伸ばした。
 紅葉のベストシーズンで11月3日に有馬大茶会の野点が行われたばかりである。山門前で解散し20分ばかり時間をとって各自で園内を自由散策した。園内には週末には野点が催されるようで紫と白の幕が残されている。燃えるような紅葉の鮮やかさを愛でながらゆっくりと散策した。
 滝川に架かる杖捨橋まで戻り南西に進んで有馬稲荷神社の参道前に到着した。この神社は見逃せないスポットだが長い階段と山道の参道は高齢者中心の受講者には厳しい。由来と見所を解説してパスした。参道前を北に下りて炭酸泉源公園を訪ねた後、すぐ南の炭酸煎餅の三ツ森炭酸泉店に立ち寄る。推進員代表の知人の調整で全品10%割引の買物を楽しんだ。温泉街の風情のある湯本坂に入り、妬(うわなり)泉源、天神泉源と見学し太閤橋横の袂岩前で解散した。2時間15分の紅葉の有馬の見どころ散策だった。

文化祭講座の受講者の内訳2016年11月07日

 住宅街の自治会主催文化祭で始めて開講した「ふるさと講座・北六甲台の今昔」の講座には65名の受講者があった。皆さんには受付で受講者名簿に住所・氏名を記載して頂いた。
 その受付名簿を分析してみた。住宅街の五つの丁目毎の受講者ではほぼ11~12名だがなぜか四丁目だけが17名と多かった。男女別には男性37名、女性28名と男性が多い。通常の地域の研修・講座では圧倒的に女性が多いのだが、郷土史というジャンルの講座の性格と祝日の文化祭の催しということが要因かもしれない。ご夫婦での受講が8組16名あったのも特徴的だろう。
 名簿を見ながら講師との関係を分類してみた。オヤジ会メンバー、社協関係者、自治会関係者、福寿会(老人会)関係者、その他の知人と何らかのつながりのある方の受講は35名だった。ほとんど面識のない方は30名ということになる。約半数の方が純粋にこの講座の「開発前の我が町の姿や伝承」というテーマに関心を持たれたのだと思われる。残り半数の方は講座への関心も含めた講師との関わりでの受講者と言える。
 いずれにしろこの結果を受け止めながら9年間の地域活動での個人的な到達点を感じずにはおれなかった。それと同時にあらためて「ふるさとづくり」をキーワードに新興住宅街でのあらたなコミュニティづくりに向けた第一歩としたいと思った。

住宅街文化祭での「ふるさと講座」の大盛況2016年11月04日

 11月3日から6日まで自治会主催の住宅街の文化祭がコミュニティセンターと自治会館で開催される。この文化祭に今回初めて「ふるさと講座・北六甲台の今昔」を開講した。文化祭初日のオープン直後の10時からの開講だった。個人主催の講座であり事前にチラシ作成、回覧手配、当日資料作成、プロジェクターの準備等を行った。
 当日の朝、果たしてどれだけの皆さんに受講してもらえるか不安を抱えながらスタンバイした。開講15分前頃から予想以上の方に会場のコミュニティセンターにつめかけてもらった。準備した40席が間に合わず自治会役員に急遽会場いっぱいに席数を増やしてもらった。終了後65名の受講者があったと報告を受けた。冒頭、自治会長の文化祭開会の挨拶の後、いよいよふるさと講座を開始した。
 講座のテーマは二つあった。第1部「お天上山物語」では住宅街の開発前の姿や伝承を画像を中心にビジュアルに紹介した。第2部「平尻巡礼街道」はかつて住宅街のすぐ北側を縦断していた丹波街道の一角である平尻街道の史跡のスポット画像を追いながらガイドした。
 最後のパワーポイントシートでは「伝えたいこと」として講師のメッセージを紹介するのが常である。「我が町が由緒あるお天上山を開発して誕生したこと。歴史と開発の調和というテーマを受け止めたい。他方で山口町という歴史と伝統の町に新たな息吹をもたらした。親たちにとっては終の棲家の第二のふるさとだが、巣立っていった子どもたちにとっては帰省先であるふるさとそのものである。分譲開始34年を経てふるさとづくりを通した新興住宅街の新たなコミュニティづくりが問われているのではないか」
 予定時間を10分ばかり残してプレゼンを終え、お二人から質問を受けた後、5分前には講座を終了した。予想以上の受講者ということに加えて皆さんの興味津々の熱心な受講姿勢に確かな手応えを感じた。自治会長からも「開会直後の催しでこれだけ大勢の皆さんに参加してもらい良いスタートを切れた」と労われた。終了後には何人かの方から「ぜひ来年も続けてほしい」「今回受講できなかった人のためにもう一度開講してほしい」といった有難い言葉も頂いた。