義父が紡ぐ思い出の糸2009年03月02日

 昨日、岡山の施設に入院中の義父を見舞った。昨年暮に亡くなった義母の葬儀や法要にまみれて4ヶ月ぶりの訪問となった。義母の墓参の後、吉備津神社と足守の町並みに立ち寄ったため施設についたのは12時過ぎだった。
 10室ほどの個室に囲まれたパブリックスペースで、93歳の義父はヘルパーさんに介助されながら昼食をとっていた。すりつぶされた献立メニューとゼリー状の飲み物が今や義父の常食となっている。スプーンで辛うじて自力で口に運んでいる。家内が顔を近づけ目を合わせても表情は変らない。認知症の症状が一段と進行しているようだ。
 時間をかけた食事を終えて自室に戻った。前回は義兄家族と重なり賑やかな訪問だった。壁際のテーブルを兼ねた棚に一枚の写真が飾られていた。前回の訪問時の二家族7人と一緒の記念の写真だった。同じ棚には数冊のアルバムが並んでいる。毎週訪れている義兄家族の義父との貴重な会話のツールなのだろう。遠くなった耳元に口を寄せ会話を試みる。何かを告げようとするが、私たちには意味不明の言葉としか伝わらない。
 そんな義父が何度も「クロイシショウテン」という言葉を繰り返す。最初その意味が分からなかったが、ようやく思いついた。義父が現役時代に最も忙しくしていた当時の取引先の衣料問屋の会社名だった。顧客だったお年寄りたちを車に乗せてしばしば訪問していた先である。お年寄りたちに頼りにされ感謝されていたという義父の話が甦った。義父の頭脳から多くの記憶が薄れゆく中で、自身が輝いていたかけがえのないシーンだけが去来しているのだろうか。見えない闇の中で義父が紡ぐ思い出のかすかな糸を垣間見たような気がした。
 前回訪問時の記念写真に写る一人一人の顔を指さして「これは誰?」と訊ねてみる。家内の顔を指した時ようやくその名前を口にした。髭面になった私の名前を口にできなくともやむを得まい。家内はアルバムを広げて語り続けている。義父はいつの間にか目を閉じ居眠りを始めている。今なお義父は長いパートナーだった人の死を知らない。最後まで義母の死は告げることなく別れを告げた。

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