異業種交流会「ウイング・マークへの道」2009年03月11日

 昨晩、異業種交流会の定例会があった。今回の講師は交流会の幹事でもあるM氏である。防衛大学校(航空工学専攻)を卒業後、航空自衛隊でパイロットの訓練を積んだという異色の経歴の持ち主である。案内状によれば、テーマは「ウイング・マークへの道」ということで、自らの体験をもとに航空自衛隊のパイロット教育と防空システムの概要について話してもらえるようだ。ちなみにウイング・マークとは「航空自衛隊において職種がパイロットと判るバッジで制服の左胸に付けるもの」とのことだ。
 会場は、1月例会と同じ地下鉄「南森町」駅最寄りの「地酒居酒屋・松留」である。19時丁度に開会した。幹事の一人である私から、会員講師であるM氏のスピーチに寄せる期待を述べて乾杯をした。料理のおいしさと引換えに多少窮屈な会場には18名ものメンバーが顔を揃えた。
 M氏のスピ-チが始まった。概略以下のような内容だった。
 商売の街・大阪で事業を営む家に生まれ、中学時代には「手形を割る」ということを覚えてしまうような環境で育った。防衛大学のことは高校3年の夏に初めて知った。11月に受験し合格した。他の国立大学も受験したが失敗し、浪人は許されない事情もあり防大に進んだ。初代・槇校長の「自主・自立」の精神のもとなる雰囲気があり、考え方や精神面で縛られることはなかった。2年の時に陸・海・空のいずれのコースかが決まる。航空工学の専攻が叶い、パイロットを志望した。
 パイロットの適性は、まず身体上の欠点がないことが問われる。目、耳、鼻等の五感機能がどれも一定の基準内にあることが必要。性格的にはミスに対するシビアさが問われる。ノーミスが何よりも不可欠な要素となる。
 飛行操縦訓練はプロペラ機、ジェット機、別種のジェット機の3機種の基本的操縦をマスターできるまで2年強かけて行なわれる。これに合格してようやくウイング・マークが得られる。プロペラ機からジェット機への変更時でのらせん状に降りてくる着陸訓練は、ものすごいスピードでほんとに緊張感を強いられた。ちなみに編隊訓練は、二機の翼間は約3mで行なわれる。計器飛行は目の訓練でもある。多数の計器を瞬時に判断する視認速度と忍耐力が技量の優劣を決める。
 現役パイロットだった時、父が脳梗塞で倒れた。父一人でやっていた家業の部品メーカーを最終的に継ぐことを決意した。半年間保留された辞職願いがようやく許可された。
 パイロットも軍人出身者と民間出身者では緊急時の対応に明らかな違いが出る。ニューヨークのハドソン川に着水した飛行機の機長は軍人出身だった。 民間出身者なら空港の滑走路にこだわっていたかもしれない。軍人は第三者を巻き添えにしないように川や海や湖など人家のないところに降りようとする。私の同期も飛行機を浜名湖に突っ込ませてパラシュート脱出時の高度が足らず、結果的に死ぬことになったが・・・。
 別紙の図が日本の防空識別圏だ。この圏内への不審機の領空侵犯が年間2002大件以上ある。ロシアと中国が半々だ。これに対して2機の自衛隊機でスクランブル発進する。1機が相手の顔が見える位まで接近し退去を求める。相手機が機関銃をこちらに向けても、国内法の正当防衛の概念上はこれを撃墜できない。僚友機が撃たれてこれを助けなければならなくなって初めて攻撃できる。僚友機が撃墜されてしまってからも攻撃できない。過剰防衛の概念から復讐のための武力行使は認められていない。航空自衛隊は、こんな状況の最前線で常に国籍不明機との対峙を余儀なくされている。それに伴うストレスやフラストレーションは相当なものだ。

 多様な職種、経験、技能、個性を持ったメンバーが集う交流会である。その中でも戦闘機パイロットというひと際、異彩を放つ職歴のM氏のスピーチだった。経験者ならではの訓練飛行の生々しい体験談に耳をそばだてた。メンバーたちの政治的ポジションはライトウイングからレフトウイングまで幅広いものがある筈である。そうした事情への配慮もあってか、航空自衛隊に籍を置いた者ならではの「想い」を抑制された表現で語ってもらった。スピーチ後にはメンバーからの質問も出され、懇親の場でも個別にM氏と活発な意見交換があったようだ。この交流会が、様々の思想や立場の違いを超えて微妙なテーマについても自由に語り合える場であることをあらためて感じさせられた例会だった。

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