五木寛之著「百寺巡礼・第六巻関西」2009年06月01日

 相変わらず読書は五木寛之の著作に嵌っている。従って本屋に行くとつい五木寛之のコーナーに目がいってしまう。「百寺巡礼」というシリーズが目についた。身近な「第六巻関西」を手にとってみた。表紙記載の取り上げられている寺院に「亀山本徳寺」の文字があった。姫路市にある亀山本徳寺は私にとって思い入れの深いお寺である。そのお寺を五木寛之がどのように描いているのか。即座に購入を決めた。 
 著者はどのような基準で百寺を選択したのだろう。札所でもなく観光寺でもない亀山本徳寺は、通常取り上げられることは稀である。真っ先に第58番の亀山本徳寺の章を読んだ。亀山本徳寺は室町時代末期に浄土真宗中興の祖・蓮如が布教の最西端の拠点としてつくらせた英賀本徳寺が前身である。かつて英賀は夢前川の三角州がつくる水に囲まれた要害の地形であったという。同時に播磨灘に面し瀬戸内海交易と水軍との関わりという地の利を有していた。英賀本徳寺を中心として人々が集まり町を作り寺内町が誕生する。交易による経済的繁栄を背景に英賀は西の真宗王国として繁栄した。しかし信長の中国攻めによる秀吉の攻撃の前に英賀城は落城し寺内町も焼き尽くされる。しかし秀吉は真宗門徒の潜在的な力を無視できず、英賀本徳寺の建物を3Km離れた亀山に寺地を寄進し移転させた。
 亀山本徳寺は私の故郷の地にある。その境内はしばしば幼かった私の遊び場であった。その懐かしいお寺の私も知らなかった歴史が見事に浮かびあがってくる。著者の目を通して語られる境内の建物の姿が懐かしい思い出を次々と呼び起こす。正面の大門、目隠し塀、巨大な本堂の迫力、太鼓楼等々。二百畳ほどもある本堂の外陣が、真宗寺院共通の多くの人を受入れたいとする「開かれた寺」の象徴であるという著者独自の視点が新鮮だった。
 第六巻には亀山本徳寺を含め関西の十カ寺が取り上げられている。それぞれに参考文献を読みこなした上での巡礼であり、随所に見られる著者独自の視点での記述に納得させられる。西国三十三所札所でもある粉河寺の章では、次のような記述があった。著者の百寺巡礼にかける思いなのだろうか。私自身も地元に残る廃れいく西国三十三所巡礼路の跡を辿ったばかりだ。心に沁みる文章だった。
 『道教における<道>とは、相反するいろいろな人たちが共に存在しうる場所のことだという。巡礼路は、まさにその意味での<道>なのではあるまいか。(中略)その<道>を流動していく人びとは、ここを通過してなにか大きな力を得てきた。そして、また次の寺への道をめざしていく』