古民家を訪ねる2009年06月03日

 朝のウォーキングを兼ねて山口の古民家の探訪に出かけた。昨日、図書館分室で借り受けた「西宮の民家」には、山口の9軒の古民家の昭和53年の調査資料が掲載されている。その9軒が30年後の今どうなっているか興味深かったし、現存する建物はぜひ画像に収めたかった。「にしのみや山口風土記」のデータ蒐集が目的である。
 山口の中心部は上山口、下山口、名来というかってそれぞれ村として独立していた地区で構成されている。この地区の真中を南北に旧街道が貫いている。有馬温泉と三田を結ぶ有馬街道であり、大坂と丹波を結ぶ大坂街道の一部でもあった。当然ながら古民家はこの街道沿いか、そのすぐ背後に集中している。街道の街であった山口は街道沿いに街並みが造られていったからである。
 「西宮の民家」に掲載の9軒は、上山口の梶三幸家、梶本るい家、井上武治家、天野基家、細木桂家と下山口の仲伊市家、吉田利平家、中南角治家、名来の前田正家である。探訪の結果、現存する古民家住宅は、井上、天野、細木、仲、吉田の各住宅の5軒にとどまった。いずれの建物も150年以上経た幕末から明治初期の建築と推定されている。
 「西宮の民家」によれば山口の民家は「妻入」「平入」の建築様式の内、摂津・丹波型の妻入民家圏にあるという。にもかかわらず山口では圧倒的に平入民家が多いという。実際現存の5軒も全て平入だった。この背景にはかって紙漉等の家内手工業が盛んであったことから土間の幅が狭くならざるをえない妻入様式は敬遠されたのではないかとの推測が記述されている。
 ちなみに「平入(ひらいり)」、「妻入(つまいり)」とは、建物のいずれの面に正面出入口があるかによって分類した様式で、平入は屋根の棟と平行な面である平に出入口があるものを指し、屋根の棟と直角な面である妻から出入りするものを妻入というようだ。 
 探訪途中で、井上家の向いのお地蔵さんに花を手向けている井上家の老婦人と雑談できた。自宅も含めてトタン板で覆われた古民家の全てがトタンの下は茅葺屋根であることをあらためて教えられた。また下山口では旧街道沿いに住いのある民生委員の同僚から古民家の存否の情報を聞くことができた。旧街道沿いの古民家に関心を寄せる新興住宅街住民への好意的な受け止め方が感じられた。「ふるさと探訪」というキーワードが新たな人のつながりをもたらすように思えた。