映画評「劔岳・点の記」2009年06月29日

 労働委員会の調査が12時ちょうどに終了した。その足でなんばパークスシネマに向った。観たかった作品を5日前に見損なった悔恨が募っていた。結局、昨日のうちに今日1時5分から上映の「劔岳・点の記」をネット予約した。平日の昼下がりの劇場は私と同年輩の男女を中心にほぼ満席だった。予想以上にヒットしている作品のようだ。
  新田次郎の同名小説を、黒澤明監督の下で長く撮影を担当した名カメラマン木村大作がメガホンをとって映画化したドラマである。さすがに映像の美しさは圧倒的である。先週見たCGだらけのターミネーター4と対照的な全編溢れるばかりの実写の美しさがスクリーンを覆っている。人を寄せつけない自然の驚異を、その猛威に果敢に挑む男たちの姿を、立山連峰に沈み行く夕日の美しさを巧みなカメラワークで追い続ける。最も印象的だったのは、ラスト近くの目前に剱岳頂上を望めるポイントでのシーンだった。誰が先頭を行くかというやりとりの直後の映像だった。それまでの登頂順序通りに案内人の宇治長治郎を先頭とすることを決したパーティー全員のアップが見事なストップモーションで映し出される。数秒の静止画にそれまでの苦難の道のりと最後の道のりに挑む決意が凝縮されている。
 劔岳の切り立つ山岳の頂きは文字通り剣の切っ先にも似ている。その岩だらけの狭い頂きで初登頂を果たしたメンバーたちが発見したのは修験者の古びた錫杖だった。陸軍陸地測量部と日本山岳会の間で初登頂争いが演じられていた明治40年のはるか以前に、名も知れぬ修験者が既にその頂きを極めていた。(ネット検索によるとこれは実際にあった事実のようだ)。剱岳初登頂による測量という日本地図の最後の空白を埋めるための国の威信を賭けた壮大なプロジェクトが、修験道の行者の極められた孤独な修行に及ばなかったのか。それはあたかも自然を克服しようとする近代合理主義精神が、自然と同化しながら自然を極めようとする往古の修験道の精神の前でいかに矮小だったかを象徴していなかっただろうか。