楕円的思考2009年06月17日

 最近、ハッとさせられ、目から鱗の想いを抱かされた言葉がある。五木寛之著「百寺巡礼・第6巻」に梅原猛氏の著述として紹介されている「円的人間と楕円的人間」という言葉だ。
 『梅原猛氏は、「円的人間」と「楕円的人間」という二つの人間のタイプを挙げている。(中心がひとつである円的人間のように)宗教家なら宗教家として、政治家なら政治家として純粋であるという人間はわかりやすい。それに対して、楕円的人間は中心が二つあり、あるときには一方に、あるときはもう一方に偏して動揺をつづける。そのため、円的人間に比べて行動がわかりにくい点があるが、行動範囲が大きくて、円的人間には到底不可能な巨大な事業をなすことができる、という。(中略)空海は二つの中心を持つ楕円的人間だ、と梅原氏は指摘していた。』
 この言葉に触発されて、様々の事象に対する自分のこれまでの思考の揺れを素直に受入れようと思った。例えば数年前、私はグローバリズムの信奉者だった。今は行き過ぎたグローバリズムがもたらした弊害に危機感をもち、むしろローカリズムこそあらためて見直されるべきと考えている。そしてその地域へのこだわりがHP「にしのみや山口風土記」への傾斜を強めている。とはいえグローバリズムのもたらした果実や成果を否定するつもりはない。二極の間で揺れ動く自分の心情をありのままに受入れようと思う。何事も裏表がある。自分にとって都合の良い何れかのみを受け入れ、他方を排除する思考こそが問題なのだろう。
 自分を楕円的人間だとは思わない。むしろタイプとしては「円的人間」に近いと思う。それだけに物事の二面を一方にのみ偏することなく見つめ受入れていく「楕円的思考」を大切にしたい。