総理の言語能力2009年06月13日

 昨日夕方の鳩山総務相更迭のニュースが駆け巡って一夜明けた。今朝の新聞報道の続報では、昨日の首相の稚拙な調整の背景と経過が伝えられている。
 それによれば首相は当初、西川社長交代の意向だったという。そのため2月に総務相に社長を含む取締役一新を指示した。これを受け総務相は5月に入り、一部の指名委員会の委員に「西川辞任」の多数派工作を始めた。この動きを察知した竹中元総務相が小泉元首相と相談の上「西川続投」で説得に回り、首相や鳩山氏の動きを封じ込めた。元々、小泉構造改革に積極的な財界人が名を連ねる指名委員会である。結局5月18日には西川続投の方針を決定した。
 この報道を通して見えてくるものは、明らかに小泉構造改革を巡る路線闘争である。小泉改革は、「市場原理」「自己責任」を軸としたグローバル資本主義の申し子である。郵政民営化はその象徴的な取組みだった。その小泉構造改革の負の遺産が小泉後の自民党政権を揺さぶっている。安部、福田と二代続いた短命政権は負の遺産のツケの支払いと言えなくもない。既にアメリカではオバマ政権が誕生し、行過ぎたグローバル資本主義の弊害是正に着手している。この流れは先進国の大きな流れとなりつつある。麻生政権に至ってようやく郵政民営化の負の部分が公に議論の俎上に登るようになった。首相自らが極めて稚拙な形の表明ながら「実は賛成ではなかった」と言わしめた背景がここにある。その意味では首相は堂々と政策論争に打って出るべきであった。世論の多くは日本郵政の不透明さを追求する鳩山氏を支持しているという追い風もあった筈だ。しかしながら結局、首相はトカゲのシッポを切る形で自らの延命をはかった。
 1ヶ月くらい前だろうか。国会中継で野党議員が日本郵政の取締役選任の総務大臣の認可権について「首相はこの問題に容喙しないのか」と首相に糺していた。首相は怪訝な顔をして「ヨウカイ?」と言葉を濁す。事務方らしき人物が「口をさしはさむことです」と耳打ちしていた。この程度のボキャブラリーすら彼の脳裏の辞書にはなかったのだ。小説や文学を読み込んでいない麻生総理の限界が露呈したと思った。漫画が好きなのではない。文学が苦手なのだ。お坊ちゃん育ちの甘えとわがままがそのような育ち方を許したのだろうか。人は言語を通じて自らの考え方を練り上げ理念を思索し思想を構築する。リーダーシップと不可分の戦略や構想を描くにも一定レベル以上の言語能力は不可欠である。
 盟友をトカゲのシッポ切りのような形で引導を渡すしかなかったのも、その背景たる路線闘争を戦い抜くための戦略や構想を持ちえなかったのも、一に首相のこの言語能力の未熟さのなせる技と思えて仕方がない。