「ターミネーター4」(SF映画からの決別)2009年06月24日

 スクリーンにキャストのアルファベットが下から上にゆっくり流れ始めた。「ターミネーター4」が終ったことを告げていた。同時にそれは、かつて好きだったSFという映画のジャンルが私にとって遠い存在になったことを告げていた。
 市大病院診察後の労働委員会総会までのいつもの映画の日だった。お目当ては「剣岳・点の記」だった。いつもはオンライン予約しておくのだが、今回は溜まったポイントで鑑賞しようと思いなんばパークスシネマのカウンターに並んだ。「もうしわけありませんが、最前列のお席しかありません」とのこと。シアター最前列は最悪の席だ。2時間以上もの時間を到底耐えられるものではない。やむをえず次善の作品としてターミネーター4を選択した。SF(近未来)映画は好きなジャンルだったしターミネーターの初回作品もワクワクしながら観た記憶がある。
 作品自体は水準以上のものだったと思う。近未来の人類とマシーンの壮絶な闘いの物語である。シリーズ第1作から25年を経て、IT化の凄まじいばかりの進展が、この物語に一層のリアリティーを与えている。過度のIT化への警鐘を告げる作品といえなくもない。そうした見方からすれば単なるSFアクションドラマの域を超えた作品なのだろう。
 観る側の私自身の感受性が変ったのだ。作品自体の中身よりも物語を映像化する上でのその手法についていけなくなっている。SF映画である限り特殊撮影は不可避である。今やそれはCG(コンピューターグラフィック)の独壇場である。目まぐるしく頻繁に映し出される戦闘場面、極限とも見えるスピード感と大音響、アップテンポなシーンの展開・・・。それらがハラハラ感以上に不快なざらつきをもたらしてしまう。
 本来なら「剣岳」の大自然の癒しの世界に浸っていた筈だという悔恨が募る。多少苦痛であっても最前列でも我慢できたのではないかと、自分のミスジャッジを呪ってしまう。とはいえ得られたものもある。「SF映画からの決別」という学習効果である。