旧街道の案内ポールが建った2011年03月08日

 今朝のいつものウォーキングコースだった。有馬川東岸の名来墓地の前に見慣れないポールが建っていた。近づいてみると丹波街道の文字が見える。黒塗りの木製ポールの白い地紋に楷書体でくっきりと書かれている。設置者は山口町徳風会だ。かねて徳風会理事長から「旧街道を整備し案内ポールも設置する準備をしている」と聞いていた。それが実現したのだと合点した。
 丹波街道の一部である平尻街道が名来山中を通過していた。以前に山中に道標があると聞き、熊笹をかき分けながらかなり苦労して辿り着いた。ひょとしたら今は整備されているかもしれない。墓地前の畦道を辿って山中に向った。前は途中で道がなくなり先に進むことを断念したルートだ。道のあちこちに竹の新しい切り株があった。明らかに整備された様子が窺がえる。早朝の人っ子一人いない寂しい山中の道を、少しドキドキしながら進んだ。三叉路を右に進んだ時、見覚えのある石碑が目に入った。お地蔵さんを刻んだ舟形の道標だった。前の苦労が嘘のように楽々と辿り着いた。さすがに組織の力は大したものだ。道標前の旧街道を西に向い金網で囲まれた関西電力の敷地横を通って名来神社横の道に出た。
 思いついて公智神社に向った。この近くの旧街道のひとつに播磨街道がある。公智神社と光明寺の間を抜ける道がそれだ。行ってみるとやはり「播磨街道」の案内ポールが光明寺側に設置されていた。
 今、山口町に新たな息吹が生まれつつある。初めてのフォトコンテストが開催された。山口町の公式ホームページが立ちあげられた。山口ホールを舞台に様々なイベントが計画されるようになった。旧街道の案内ポールの設置もそのひとつである。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック