お盆という祭礼が運ぶもの2014年08月14日

 お盆である。一昨日の夕方、息子夫婦が帰省した。娘夫婦は、今年は混雑するお盆の帰省は避けて別の機会にするという。夕食前には息子と一緒に仏壇の前で恒例のお勤めをした。夕食の席で、ふと思いついて息子に「エンディングノートを書いておくようにするからな・・・」と口にした。
 お盆は、亡き人を偲びながら、家族や親族の絆を確認し合う祭礼の場でもある。亡き父母を偲びながら自身の死についても重ね合わせてしまう。古希目前の齢を重ねた身にはなおさらである。お盆という機会は、帰省した子供たちにそんな想いを伝える場でもあると思った。
 「終活」という言葉は好きではないが、人生の晩年に「死」という避けがたい一大事に冷静に向き合う営みということだろう。エンディングノートは、そのための格好のツールである。気持ちを正確に伝え難くなった際の介護や延命治療の要望、財産や相続のこと、葬儀の形式など遺族に伝えておきたいことは様々にある。本人の要望という側面だけではない。残された遺族が対応に苦慮する問題が多々ある。そうしたことを念頭に遺族への配慮という側面も否定できない。
 そろそろ本気でエンディングノートに着手せねばなるまい。