大型台風の有馬川の爪跡2014年08月11日

 昨日の4時過ぎだ。朝からの暴風豪雨がようやくおさまった。大型台風はようやく近畿圏を通過したようだ。薄あかりの見える空模様を確認して断念していたウォーキングに出かけた。
 有馬川で目にしたのは、大型台風のすさまじい余韻だった。かつてみたことのないような膨大な水量の濁流が轟音と一緒に急流をつくっていた。堰を流れ落ちた水流は滝壺の様相を呈していた。
 中国道のガード下をくぐった先の国道176号線の擁壁の堤の一角がごっそりえぐられていた。路面のガードレールの柱がむき出しになるほどのえぐれようである。すぐ上の道路には「右に寄れ」と表示した電光看板をつけた工事車両が停車し、後方の渋滞車両を招いていた。
 愛宕橋の先の土手道を工事用のネットフェンスが遮断していた。ネット越しにフェンスの先の土手道を見た時、驚愕の光景が目に飛び込んだ。土手道そのものが崩落し、道沿いのさくら並木が崩落跡に横倒しになっていた。
 有馬川は通常は水深30cmにも満たない穏やかな二級河川である。その堤は近隣の住民たちの絶好の散歩コースである。とはいえ郷土史を紐解くと、かっては幾たびか氾濫し甚大な被害を与えた暴れ川だったと記されている。古くは、有間神社の由緒に往古、名来に創建されていたが奈良時代の有馬川洪水で現在地に遷座されたという記述がある。近年の治水工事で有馬川の洪水は回避されたかに思えたが、今回のこの地方では稀な豪雨台風が、暴れ川の遺伝子を復活させたようだ。大型台風の二カ所の爪跡に自然の猛威をあらためて思い知らされた。

続・大型台風の有馬川の爪跡2014年08月12日

 大型台風11号の猛威で有馬川の上山口の堤でも崩落があったという情報を聞いた。今朝の早朝ウォーキングは早速その方面にコースを選んだ。
 新明治橋の東詰から南に有馬川緑道を辿った。途中、平成橋の欄干から有馬川の滝のような水飛沫の流れをみた。緑道途中で知人の地元のご婦人と遭遇した。崩落現場をみてきた帰りだという。現場は松栄橋を南に越えた辺りのようだ。松栄橋の先の緑道の一角に工事用ネットフェンスが立てられていた。松栄橋を渡って有馬温泉に向かう県道の端を進んだ。
 有馬川の対面の無残な姿が目に飛び込んだ。擁壁の石積みが崩れ落ちて散乱している。広範囲に剥き出しの赤土が斜面を覆っている。ちょうど六甲山から流れ落ちた水流がカーブを描いて北に下る位置にある。一気に増水した急流が勾配とカーブの相乗効果を得て、擁壁強化工事の間隙の箇所を突き崩したのだろう。
 帰宅後、所蔵の山口の昔の画像を点検した。76年前の昭和13年の有馬川洪水の写真があった。上山口周辺の川沿いに建つ茅葺家のすぐ下の有馬川擁壁が無残にえぐられ、土石が散乱している。
 2枚の画像をあらためて眺めた。有馬川水害の今昔物語である。

水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」(その3)2014年08月13日

 「資本主義の終焉と歴史の危機」の第二章は「新興国の近代化がもたらすパラドックス」と題して、BRICS諸国に代表される新興国市場の現状と行く末を分析しながらグローバル資本主義の限界を明らかにする。
 著者は、実物経済でのフロンティアの消滅で行き詰った資本主義を延命させるために創出された「電子・金融空間」が新興国市場を誕生させたと指摘する。即ち、「電子・金融空間」を拡張することで新たなマネーを創出し、その過剰マネーが新興国の近代化を促す新たな投資機会を生み出した。
 その思惑通りBRICS諸国は2000年代に入り、急成長を遂げたものの、今やその成長に陰りが見えてきた。その原因は新興国の成長モデルが輸出主導であることに起因する。輸出先の先進国では中間層の没落で消費は冷え込み、二度と消費ブームが戻ることはない。著者は、BRICSと先進国との経済統合を、「長い16世紀のグローバリゼーションと価格革命」と、「長い21世紀の価格革命」との共通性を提起する。
 16世紀にヨーロッパでは、先進地域の地中海諸国、新興地域の英蘭仏独、後進地域の東欧諸国の経済圏が統合され、その人口増によって供給に制約のある食料需要が高まり価格高騰を招いた。他方でスペイン支配下の新世界で発見された金・銀が大量にヨーロッパに流入した結果、貨幣価値が下落し、消費者物価の引上げに繋がった。「長い16世紀」とは、ヨーロッパでかってない大規模な経済統合が進行し、その結果、長期にわたる価格高騰、いわゆる「価格革命」が引き起こされた時代だった。
 「長い16世紀の価格革命」は、それまでの荘園制・封建制というシステムから資本主義・主権国家システムへの移行という「歴史の危機」を引き起こした。14世紀初頭以降の農業技術の革新による供給過剰と14世紀末のペストの流行による人口の大幅減が労働者の賃金を引上げ、封建領主の取り分を減少させた。この流れが約160年続いた結果、封建制システム自体が危機に陥り、封建領主は支配権を失っていった。そこで封建領主の中でも力を持つ者が国王となり絶対王政を確立するという権力を集中させることで危機の克服をはかった。15~16世紀の資本と国家が一体化することで国家の利潤独占に向かった過程である。これは支配層全体としては「労働者の黄金時代」に終止符を打ち、報酬をめぐる労使の力関係を逆転させることに成功した。さらに太西洋を越えて「新大陸」に舞台が広がるに及んで、「領土」にこだわった「陸」のスペイン世界帝国にとって代わって、市場支配に専念した「海」の国民国家イギリスが台頭していった。
 
 資本主義の生成過程についての何とも説得力のある解説だった。この「長い16世紀の価格革命」が、そっくりBRICS29.6億人を世界市場に統合する「長い21世紀の価格革命」の動向を示唆しているという。次回、あらためてその点に言及したい。

お盆という祭礼が運ぶもの2014年08月14日

 お盆である。一昨日の夕方、息子夫婦が帰省した。娘夫婦は、今年は混雑するお盆の帰省は避けて別の機会にするという。夕食前には息子と一緒に仏壇の前で恒例のお勤めをした。夕食の席で、ふと思いついて息子に「エンディングノートを書いておくようにするからな・・・」と口にした。
 お盆は、亡き人を偲びながら、家族や親族の絆を確認し合う祭礼の場でもある。亡き父母を偲びながら自身の死についても重ね合わせてしまう。古希目前の齢を重ねた身にはなおさらである。お盆という機会は、帰省した子供たちにそんな想いを伝える場でもあると思った。
 「終活」という言葉は好きではないが、人生の晩年に「死」という避けがたい一大事に冷静に向き合う営みということだろう。エンディングノートは、そのための格好のツールである。気持ちを正確に伝え難くなった際の介護や延命治療の要望、財産や相続のこと、葬儀の形式など遺族に伝えておきたいことは様々にある。本人の要望という側面だけではない。残された遺族が対応に苦慮する問題が多々ある。そうしたことを念頭に遺族への配慮という側面も否定できない。
 そろそろ本気でエンディングノートに着手せねばなるまい。

有馬川護岸の修復工事2014年08月15日

 お盆の最終日である。早朝散策で有馬川堤の崩落現場のその後の様子を見に行った。今月9日、10日に来襲した大型台風11号が、山口の町にも大きな傷痕を残して通過した。有馬川の擁壁を3カ所に渡ってえぐり取っていた。
 上山口の松栄橋の南の先の崩落現場は全く手つかずのまま放置されていた。名来2丁目交差点東の現場では、クレーン車2台が配車され工事用の砂袋が2段に渡って積み上げられていた。名来のジャパン東側の現場でもクレーン車が1台配車され、こちらも砂袋が積み上げられ復旧工事の進行振りを窺わせていた。
 お盆直前の襲来による被害だった。お盆休みで当分復旧は望めないと思っていたが、意外と素早い工事の着工だった。

どしゃ降りの公民館講座の名塩の下見2014年08月16日

 10月7日に山口公民館講座「隣町風土記・名塩」を開講する。11月8日にはその屋外散策講座である「名塩を歩く」を開講する。両講座併載のチラシの作成が迫られている。今日、チラシの掲載内容のチェックも兼ねて担当の公民館講座推進員さんと屋外講座の下見で名塩まで出かけた。生憎の雨模様だったが、チラシ発行の日程が迫っていたこともあり決行した。
 名塩行のバスで担当推進員さんと合流し、名塩駅前で急きょ同行することになったもうひとりの推進員さんと合流した。3人で散策講座で予定しているコースに沿ったルートをスタートした。駅とつながっている回廊の突き当りに西宮名塩ニュータウンと結ぶ斜行エレベーターがある。左右二基の昇降機の乗り場ホールには機内の映像が映される防犯モニターがある。10人ほどの乗客が下車した昇降機に乗り込む。機内の表示板で17名定員を確認した。高低差60mの斜面を約2分で3階の東山台まで一気に上昇する。機内の窓からは長い斜面軌道が眺められた。
 到着ロビーのすぐ先の大通りを左折し、しばらく歩くとカーブの左手下に広大な野外音楽堂風の公園が見えた。急勾配の階段を降りてナシオン円形広場と呼ばれるその公園前を西に進んだ。舗装路の突き当りの山道を右折し道なりに進むと水飛沫の音が聞こえた。途中の崖下に前夜の大雨を吸収した名塩川の水流が目に入る。その落差のある急流が最初の探訪スポット・下滝だった。
 小雨が降りそぼる中、山道のU字カーブの先を右折し集落に入る小道を進んだ。斜面に張り付くように建ち並ぶ集落を西に進むと、名塩のランドマーク・教行寺の太鼓楼の真下に出た。間近に見上げる初めての太鼓楼だった。境内南面に建つ山門は閉じられており境内に入ることは叶わなかった。本番の散策講座では何とか伝手を頼りに入山させてもらいたいと話し合った。
 雨脚が早くなる中を教蓮寺、源照寺の山門を横目に急斜面を下った。国道176号線を渡った先で東に向かう蘭学通りに合流する。すぐ東にJAの建物がある。元蘭学塾のあったところで、今は緒方洪庵の夫人で名塩出身の緒方八重の胸像が建物前に立っている。雨脚が激しさを増してきた。何とか名塩八幡まで辿り着こうと蘭学通りを東に向かった。名塩川に架かる橋の手前でどしゃ降りになった。おまけに稲妻の閃光がきらめき落雷が頻発しだした。民家の軒下で雷雨が止むのを待った。40分ばかり雑談しながら待ったが、豪雨は一向に止む気配はない。今回のこれ以上の下見は断念する他ないと衆議を決した。最寄りのバス停で下半身をずぶ濡れになりながら15分ばかり待って何とか住宅街経由のバスに乗車できた。最悪の下見を終えて昼前に我が家に帰還した。

子どもたちの帰省2014年08月17日

 今朝、帰省中の息子夫婦が自宅の東京に戻った。Uターンラッシュを避けて5時50分という早朝の出発だった。二人を見送った後、久々に夫婦一緒にウォーキングに出かけた。40分余りの散策を永年の連れ合いと過ごした。
 今年のお盆は、いつにない穏やかさだった。娘夫婦が混雑を避けて帰省をずらした。息子夫婦もそれぞれに久々の帰郷を友人達や実家の家族と過ごすことが多かった。とはいえ帰省の初日には、私にアサヒスーパードライ・プレミアムの24缶入りギフトの心遣いをしてくれた。昨晩は二組の夫婦で近くの人気の和洋レストラン・アンスリールで夕食をともにした。印象的だったのはそんなところである。
 孫という新たな世代の登場がなければ、親と子の夫婦二組の関係は淡々と流れていく。それぞれの夫婦がそれぞれに独自の日常生活を積み上げている。帰省中の会話を通して互いの日常を確かめ合うばかりである。我が家では、子どもたちの盆、正月、ゴールデンウィークという年三回の帰省は定着している。帰省という日本的な慣行が維持されていること自体が感謝すべきことなのだろう。私たち夫婦がそれぞれの実家への帰省を終えたように、子どもたちの帰省もいつか終わりを告げる。その現実を冷静に認識しながら今を過ごそう。

水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」(その4)2014年08月18日

 前回の続きで「長い21世紀の価格革命」の動向について紹介する。「長い16世紀の価格革命」と同様に「長い21世紀の価格革命」でも先進国とBRICS諸国という異なる経済圏の統合が進んでいる。しかも価格革命は「周辺」の経済圏が「中心」を飲みこむときに発生する。中国、インド、ブラジルといった圧倒的な人口を擁する国で、先進国並みの生活水準を欲して経済活動を進めれば食料価格や資源価格の高騰を招くのは必至で、価格革命を招くことになる。
 同時に先進国では今、「長い16世紀」の実質賃金低下と同じ現象が進行している。第二次大戦以降、1970年代半ばまでの世界的な経済成長のもとで「福祉国家」が実現し、中世の「労働者の黄金時代」が再現した。ところが1970年代半ば以降の資源価格の高騰(現代の価格革命)で企業はそれまでのように利潤をあげられなくなった。その利潤減少分を雇用者報酬の削減で補なった。その結果、名目GDPの伸びに比例していた雇用者報酬という構図は1999年を境に劇的に変化し、企業利益の上昇にもかかわらず雇用者報酬は減少するという事態が発生するようになった。その背景には、20世紀末以降のグローバリゼーションの推進で、資本は国境に捉われることなく生産拠点を選べるようになり、そのことを通して、資本側はそれまでの資本と労働の分配構造を破壊することに成功したという点がある。
 では「長い21世紀の価格革命」はいつ終わるのか。「長い16世紀の価格革命」が新興国イギリスの一人あたりGDPが当時の先進国イタリアに追いついた時点で収束したように、中国の一人あたりGDPが日米に追いつくと予測される2030年代前半あたりと試算される。
 ところで「21世紀の価格革命」は、国家と資本の利害が一致していた資本主義が維持できなくなり、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義に変貌させる。資本主義の発展で国民の多くが中産階級化するという点で、資本主義と民主主義は支持されてきた。ところが現在のグローバリゼーションは、豊かな国と貧しい国という二極化が、国境を越えて国家の中に現れることになる。これから近代化を推し進める新興国の場合、経済成長と国内での二極化が同時進行する。中国で13億総中流化が実現しなければ民主主義は成立せず、階級闘争が激化する。それは中国共産党一党独裁体制を大きく揺さぶる可能性がある。
 「電子・金融空間」で創出された140兆ドルもの余剰マネーは、利潤を求めて世界を駆け巡り、新興国に集中する。それは新興国の近代化に要する資本をはるかに超えた過剰な投資となっている。既に中国では誰も住まないマンションが建ち並び、景気減速による過剰設備が危険視されている。輸出主導の経済が終わり、内需主導に転換できなければ、過剰設備の使い道はない。マネーの集中による中国バブルは今まさに弾けようとしている。
 こうした推移を見据えると中国が世界経済での新たな覇権国になる可能性は低い。「長い16世紀」にオランダ、イギリスがイタリア、スペインにとってかわれたのは、中世封建システムに代わる近代システムを持ち出したからだ。近代の延長上で成長を続ける新興国の筆頭である中国もいずれ現在の先進国と同じ課題に直面し、成長が加速化している分、遠くない将来に危機が訪れる。
 もはや近代資本主義の土俵の上で覇権交替があるとは考えられない。次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握ることになる。その可能性を最も秘めているのが、近代のピークを極めて最先端を走る日本だ。しかし、日本が「成長戦略」をもっとも重視するアベノミクスに固執している限り、そのチャンスを逃すことになる。

再び三年五組の中学クラス会2014年08月19日

 4月に開催された中学三年のクラス会が、その時の申し合わせ通り昨日再開された。10時前に自宅を出て、JR姫路駅に11時半頃に到着した。姫路城を正面に臨む駅北側の玄関に向かった。修復工事を終えたばかりのお城が見事な姿を見せていた。幼い頃に馴染んだお城のイメージからは妙に白っぽくなっていたのが印象深かった。
 開会の12時前に前回と同じ会場のやまとやしき北側の割烹「三光亭」の玄関引き戸を開けた。奥行きのある長テーブルに既に数人が席を占めていた。男性8人女性5人の13人が今回の参加者の顔触れである。全員が揃ったところで幹事役の乾杯となる。
 席を入れ替えながら級友達との旧交を温めた。呑み放題のビールを重ねるうちに2時間ばかりがアッというまに過ぎた。1次会で終わらないのがこのクラス会の常である。2次会はカラオケのできるところでということで、飲まない女性陣の運転するマイカー3台に分かれて飾磨方面に移動した。案内されたのはユニクロ飾磨店に隣接したアークカフェというアミューズメント施設だった。男女各1名が抜けたものの総勢11名の2次会が始まった。しばらく歓談の続きをした後、ナツメロを中心にカラオケタイムとなった。
 二次会を終えたのは5時半頃だったろうか。半年後の次回の日程を確認してお開きになった。級友の車に送られてJP姫路駅に到着した。6時11分の新快速に乗車し、7時半過ぎに家内の待つ最寄り駅に到着した。丸一日を要した中学クラス会を終えた。

級友たちの直木賞作家・車谷君の評判2014年08月20日

 一昨日、中学三年のクラス会があった。テーブル近くの四人の級友たちと思い出話に花が咲いていた。話題が同級生の有名人・直木賞作家の車谷長吉氏に及んだ。その場の級友たちにとっても小中学校の9年間をともに過ごした同級生である。
 車谷君との付き合いという点では、私の場合、幼児期に互いの家を行き来したことや、高校でも一緒だったこともあり、彼ら以上に繋がりは深い。とりわけ、彼の作品に私らしき人物が登場している(と、思っている)ことに端を発したプチ・ドラマもある(この件については以下の個人HPで詳細を記述した http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kurumatani.htm )。 そんな車谷君との関わりをかいつまんで披露した。
 級友たちは口々に大作家となった旧友への非難の言葉をもらした。その上で、「確かに車谷はあの頃から変わってたもんな」「そんな感じやったからあの頃もあんまり付合わんかったし」「どっちか言うとあんまり印象なかったな~」といった当時の印象が伝えられた。
 個人的には、彼の作家らしい感性を素直に評価している。7年前に郷里の「姫路文学館」で「作家・車谷長吉、魂の記録」特別展が開催され、当時の大阪大学総長とトークショーもあった。彼の凱旋イベントともいうべき特別展とトークショーを目の当たりにして、彼の感性に感じ入ったものである。(この件も以下のHPで記述した http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kurumatani-2bu.htm )。
 ここは旧友・車谷君の名誉のためにも私なりの感想を伝えたいと思った。姫路文学館でのトークショーの所感を述べた。「作家の感性という点は分からんではないけど、それと人間性とは別モンや」というのが級友たちの共通した反応だった。級友たちの直木賞作家・車谷君の評判は芳しくない。