ボランティアの現場を支える生の声2015年06月11日

 二日前と今日、ボランティアセンターに登録されているボランティアさんを対象に交流会が開催された。
 初回は地域の介護施設等に派遣されている皆さんが対象で13名のボランティアに9名のコーディネーターが出席した。出席者の感想や意見がそれぞれに語られた。「施設内の独特の匂いのきつさに最初は戸惑ったが、今はそれが我が家に戻った時にあらためて今の幸せを噛み締める糧になっている」「できる時間に無理のない参加が長続きのコツ」「認知症の方のお世話をすることが良い勉強になっており感謝している」「グループで誘い合って活動できることが楽しみになっている」「施設までの交通費や施設での懇談の際のコーヒー代が自己負担という点は今後の応募者募集でも検討の余地があるのでは?」等々。
 二回目はカーボランティアの担当者が対象で9名のボランティア(内4名はコーディネーター)と6名のコーディネーターが出席した。自動車保険の内容、送り先の施設の駐車場の利用情報の提供、宝塚までの利用に際しての渋滞時間帯の高速道路利用の可否等が話題になった。ボラセン側から利用料金実費の受渡し方法について、現状のボラセンを介在した立替え方式から、送迎終了時に直接利用者から提供者が頂く方式への変更提案があった。これについては提供者から「利用者と直接金銭授受を行うことの抵抗感や、ボラセンが介在していることの安心感」などの率直でもっともな意向が語られた。高齢化に伴う今後のカーボラニーズの増大に向けてよりシンプルな仕組みが求められている現実との調整が課題になりそうだ。
 昨年ボランティアコーディネーターになって初めての交流会だった。ボランティアの現場を支える皆さんの生の声をありがたく聴いた。

「高齢者あんしん窓口」なのか「地域包括支援センター」なのか2015年06月12日

 今日の午後、地区の民生委員協議会の定例会があった。会議の冒頭には公的機関の担当者からの報告やアナウンスがある。そのひとつに高齢者あんしん窓口・山口がある。
 ところでこの機関は以前は「地域包括支援センター」と呼ばれていたが、現在は市の公の発行物を読めば「高齢者あんしん窓口」に統一されているかに見える。ネットで調べると各市町村では地域包括支援センターが一般的だが、高齢者あんしん窓口を採用している市町村もある。ところが「あんしん窓口」を採用した筈の西宮市でも必ずしも呼称の使用は統一されていない。定例会の担当者も「地域包括では・・・」といった使い方をしている。
 福祉ネットの事務局を預かる立場になって様々な場面でこの機関のことを触れる機会が多くなった。先日の社協役員会でも「あんしん窓口」と表現したところ、ベテラン役員から「地域包括支援センター」のことですと注釈された。そんなことから以前なら聞き過ごしていたことも今日は気になって注文をつけた。「あんしん窓口か地域包括なのか?呼称の統一が必要ではないか。今後ますます重要になり呼称の機会も増えるだけに現場の混乱を避ける上でも統一が必要だ」。これについて担当者は「高齢者あんしん窓口と呼称した場合、障がい者等が漏れる懸念があるという意見もある。一存では答えられないので持帰る」とのことだった。
 確かに地域包括支援センターの対象者は高齢者に限らない。それなら公の発行物で「高齢者あんしん窓口」を「地域包括支援センターの呼称です」と記載していると自体が間違っている。むしろ高齢者を取って「あんしん窓口」に統一すべきではないか。市の担当部署をはじめとした所管部署でのキチンとした対応を望みたい。

市の空き家アンケート調査の報告2015年06月13日

 昨日の民生委員地区協議会の定例会で市の「空き家に関するアンケート調査結果」の報告書が配布された。昨年夏に民生委員に対して空き家の実態調査の依頼があって私の担当地区でも調査した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2014/07/16/ その民生委員の調査結果を集計しそれをもとに空き家所有者の意向をアンケート調査し集計した報告書だった。
 民生委員による実態調査報告の部は、空き家の可能性のある件数がエリア別に集計された内容が中心でA4で1頁の報告だった。エリアも担当地区で言えば「山口」といった大括りで、在住する住宅街の空き家件数の記載はない。民生委員の概観から判断した空き家の把握であり、必ずしも実際に空き家であるとは限らない。そのため「空き家の可能性のある家屋情報」として集計されている。それによれば市全体で2225件であり山口では116件という結果だった。
 「空き家問題」は、超高齢社会の到来とも相まって地域福祉にとって深刻な問題をもたらす筈である。いずれ「福祉ネット北六甲」での取組みテーマに浮上することになる。その意味でも地区別の空き家件数を把握しておきたいと思った。定例会でもぜひそのデータをフィードバックしてもらいたいと要請した。
 報告書の中心は「空き家所有者の意向アンケート」の集計結果である。民生委員の調査結果で得られた2225件の空き家情報を法務局の登記簿で特定し所有者にアンケートを求めたものだ。宛名不明や未回収が70%もあり、回収数は651件に過ぎない。以下報告の主な内容をまとめておきたい。
 まずその家屋が実際に空き家か否かについては、実際に空き家であるとの回答は約36%であり、実際には住んでいる人がいる36%、一時的に不在である等20%、対象家屋の所有者でない10%ということだ。空き家化した理由については、人に貸すため退去28%、相続したが住んでいない26%、入院・入所で不在24%となっている。維持管理の頻度では、月一回程度35%、週1回以上24%で約6割を占める。維持管理上の困り事では、草木の繁茂48%、不法投棄・不審者侵入・放火の恐れ30%、害虫の発生・動物等の侵入21%である。今後の利活用については、今予定はないが将来利活用したい33%、利活用の予定がある25%、条件が合えば利活用したい14%となっている。今後は条件が合うことは稀であることを考えれば約4割が空き家のまま放置されることが懸念される。
 以上、個人的に関心の深い点を中心にまとめてみた。登記簿と突合せて特定した所有者へのアンケート等の手法は行政機関しかなし得ないことである。それだけにこの報告書は今後の空き家対策実施に向けて一定の意義のある情報を提供していると思えた。

高橋克彦著 「炎立つ(弐)」2015年06月14日

 第一巻では陸奥守・藤原登任が率いる朝廷軍が「鬼切部の戦い」で阿倍一族に壊滅的な敗北を喫するまでの経緯が描かれた。 この屈辱的な事態を受けて朝廷は、源氏の総帥・源頼義を陸奥守に任命することで雪辱をはかった。
 第二巻は安倍一族と源氏の永い宿命の対決・前九年の役の始まりの物語である。源氏の勢力拡大に腐心する頼義は様々な策謀をもって阿倍氏との闘いを引き起こそうとする。闘いで勝利することこそが公家社会が支配する朝廷で武家勢力の存在感を高め、棟梁たる源氏の勢力拡大につながるからである。蝦夷の後裔たる阿倍氏側に立ったこの物語では、頼義は敵役として描かれる。
 頼義は陸奥守としての任期が終了する間際になってようやく阿倍一族と闘いの火ぶたを切るという策謀を果たす。同時に阿倍一族である津軽の安倍富忠の離反にも成功する。忠富説得に赴いた阿倍氏棟梁・頼時は忠富陣の伏兵に遭い横死する。頼時戦死の勢いをかって頼義は阿倍氏との無謀とも思える乾坤一擲の真冬の闘いに挑む。頼時の後を継いだ貞任は黄海(きのみ)の地で頼義軍を迎え撃つ。冬期の遠征で疲弊し、補給物資も乏しく兵力でも劣っていた頼義軍は大敗を喫し、頼義は長男・義家を含めたわずか七騎でからくも戦線を離脱する。
 第二巻は、この「黄海の戦い」の頼義の無残な敗北をもって幕を閉じた。物語の展開過程で阿倍氏陣営には陸奥守の血筋を引き安倍頼時の娘婿である藤原経清が参加し、その実子・清丸の誕生の場面も用意する。奥州藤原氏の祖となる人物の登場である。阿倍氏と奥州藤原氏、出羽・清原氏との複雑で興味深い関わりの伏線が巧みに準備されている。

久々に隣町の鎮守に参拝2015年06月15日

 初夏の早朝を隣町まで足を伸ばした。道場平田の広々とした風景の終えたばかり田植えの水田が心を和ませる。空高く舞うヒバリの鳴き声が幼い頃の郷愁を誘っている。
 左右の水田に癒されながら平田稲荷神社に通じる農道を歩いた。前回訪ねて以来、半年ほどになる。農道脇の水田でひとりの老婆がこの付近では最後と思える田植えにいそしんでいた。声をかけた挨拶に元気な声で返された。
 二連の朱塗りの木の鳥居をくぐった。その先の渡された〆縄に二枝の朽ちたサカキが吊るされていた。それは俗界と神域を隔てる結界を連想させた。結界の内にある社や境内の杜が昔ながらの鎮守の風情を漂わせていた。何故か足を踏み入れることがためらわれた。〆縄の手前で二礼二拍手一礼して踵を返した。

福祉ネット推進部会、始動!2015年06月16日

 昨晩、社協の初めての福祉ネット推進部会を開催した。メンバーは私を含めて5人である。70歳前後の男性2人と40代の女性3人の構成は、リタイヤオヤジと子育て卒業母さんという地域ボランティアの今後求めらる構成イメージに重なる。
 部会メンバーの主たる役割は、福祉ネット役員会に向けての資料の検討と役員会確認事項の事後フォローである。その上で、必要に応じて広報紙発行や個々の地域ボランティア活動の福祉ネットとしての対応等を分担することにした。
 次回の福祉ネット役員会に提案予定の「高齢者見守り」のタタキ案を説明し意見交換した。「高齢者見守りの環境整備は分かるが、実際に迷惑行為や異常行動を目撃した際の地域でのその場の対応をどうするか」「自治会隣保長の年2回の会費徴収の個別訪問が見守りの絶好の接点」「大阪ガス等の事業者の見守りサービスとの調整をどう考えるか」等の意見があった。
 福祉ネット取組みの市や市社協の長期計画との関連でも意見をもらった。「2025年問題を語りすぎると目前の超高齢化の事態がぼやける。目前の課題にもスピード感をもって取り組む姿勢が必要」「福祉施設での介護者やスタッフの人材不足は今後ますます深刻になる。在宅介護の流れに対応できる訪問介護スタッフの確保も含めた人材確保の対応も不可欠」「カーボランティアの募集については保険の保障の少なさがネックになる。利用者、提供者ともに高齢化が進む中で思わぬトラブルも予想され保障問題は今後避けて通れないのではないか」等々。
 地域ボランティアに「想い」をもって参加したメンバーたちである。初めての突っ込んだ懇談は、新鮮で貴重なひと時だった。2時間近い中味の濃い時間を過ごした。

介護現場の生の声2015年06月17日

 昨日の午後、毎月一回開かれる住宅街の介護者の会があった。定例の会場である自治会館に介護者や介護OB6人とサポーター2人が参加した。
 特にテーマを決めない自由な雑談会である。それでも久々の大勢の人前である。介護の苦労話や困り事などが相次いで口にでる。今回の話題の中心は介護者の家計問題だった。介護度が上がるにしたがって介護用品の使用頻度も比例する。ヘルパー依頼費やデイサービス利用料の個人負担分も然りである。年金暮らしで定額収入の家計にじわじわとその負担増が堪えてくる。配偶者を看取った後の大幅にカットされる年金生活の独り暮らしの家計も気になる。少しでも蓄えを残そうと涙ぐましい節約を日々心がけることになる。保険料負担や公的年金の課税問題などにも話題が及ぶ。少しでも負担が少なくなるような手だてや工夫を求める声があがる。
 福祉ネットを預かる身には介護現場の生の声を受け止められる貴重な機会である。そうした声に可能な限り応えたい。そんな想いから次のような発言をした。「介護者の介護用品の低価格購入や重い品物の配達などについて事業者に打診することも考えたい」「課税、公的年金、介護保険等の公的制度の介護者にとっての有益な情報についても提供できるような工夫を考えたい」

クローズアップ現代「そのパソコン遺(のこ)して死ねますか?」2015年06月18日

 NHKクローズ現代「そのパソコン遺(のこ)して死ねますか?~デジタル時代の新たな“遺品”~」を観た。古希を迎えて”終活”が気になりだした。膨大な個人的デジタル情報の行末が案じられだした。
 思えば30年近いパソコンとの付き合いである。40代前半で職場のパソコンに遭遇した。初めての入力操作でディスプレイに文字が表示された時の感動は今尚鮮明である。新しいもの好きは人後に落ちない。以降パソコン操作の習熟にせっせと励んだ。50歳の時に初めて自前のパソコンを購入した。20万円代になりようやく手にすることができた。以来、デスクトップからノートPCに転身しながら6代目を数える。デジカメも53歳の時に初めて購入し5代目を数える。52歳の時に個人ホームページを開設し61歳でブログを始めた。これが我がPC人生の遍歴である。
 この遍歴の過程で膨大な個人的デジタルデータがPCハードデスクやネット上にストックされることになった。断捨離を考える上でもデジタルデータという実態のない遺品処理は悩ましい問題でもあった。番組のテーマはこの問題意識にピッタリだったのだ。
 番組では“デジタル遺品”を遺族に代わって整理するビジネスを紹介する。膨大な写真画像を顔認識技術を使って本人や家族が写っているものだけを取り出し整理した上で、ハードディスクを粉砕してデータを完全消滅させる。人間科学専門の大学教授がコメントする。「情報を0と1に置き換えて無限にストックできるデジタル革命が取捨選択して整理することを不要にした。その結果、家族に膨大なデジタル情報を遺品として遺すことになった。先ほどのビジネスはいわばデジタル遺品を遺族に代わって整理する『おくりびと』のようなもの」。
 他方で、難病で22歳で亡くなった息子のブログと死後に向き合う老夫婦を紹介する。外出もままならなくなった晩年をパソコンの前から離れなかった息子は、ブログを通して多くの人と交流しネット世界でいきいきと生きていた。母親はブログを引き継いで亡き息子の写真や詩をアップし、自分の日常も綴っていく。「息子にお父さんもお母さんも一生懸命生きてるよと知らせるために書いている。本当は亡くなっているけど、ネットの世界では今も生きていると思う」。
 膨大なデジタル情報の生前の早目の整理と、家内や子どもたちに残したいHPやブログの整理という具体的なテーマを告げられた気がした。

そろそろ公民館講座の準備を2015年06月19日

 公民館推進員の方から連絡を頂いた。今年度の私の担当する公民館講座の日程が決まったとのことだ。10月初旬の室内講座、11月初旬の屋外散策講座の2回である。まだ三月余りあるがパワーポイントによる資料づくりは殆ど白紙と言ってよい。今年の講座は「隣町風土記・道場」がテーマである。材料や参考資料は何とか入手済みである。そろそろ資料づくりにかからねばならない。
 ところで今回から担当の推進員さんが交替した。前任の推進員さんは5年前の2010年に初めて講座を持って以来、11回の講座を担当して頂いた。毎回の講座の前には呑み会を兼ねて打合せをしてきた。推進員会の雰囲気や期待なども伝えながら講座内容についても色々意見を述べて頂いた。
 講師と講座担当者というのはあたかも作家と編集者の関係にも似たようなものだと思ったものだ(作家ではないので単なる想像ではあるが)。ひとりの講師が11回にも及ぶ講座を担当するのは珍しいようだ。私の講座がこれほどに継続できたのも今のスタイルが定着できたのも彼の尽力と熱意によるところが大きい。そんな想いに浸りながら今年度の講座資料に着手した。

認知症介護の情報誌「ゆいま~る・別冊」2015年06月20日

 先日、住宅街の「介護者の会」で主宰者からある冊子が配られた。医療機関で無料で配布されている認知症介護の情報誌・ゆいま~る別冊「まんがで学ぶ認知症の方の気持ち」だった。外資系製薬会社ノバルティス ファーマ発行の情報誌だが、これが中々すぐれものだった。
 認知症はそれまで普通に暮らしてきた人が物忘れや判断力低下を来たし、着替え、入浴、トイレなどの日常生活動作(ADL)や料理、買物、乗り物利用などの手段的日常生活動作(IADL)に障害が生じる病気である。
 冊子ではこうした認知症によって引き起こされるADL障害、IADL障害、記憶障害の24の事例を4コマ漫画で取り上げ、それぞれに介護者の見方、本人の気持ち、ドクターのコメントを記載されている。例えば「皿洗いを手伝う認知症高齢者」のまんが事例では、ちゃんときれいに洗えていない様子について、「かえって手間が増える。これではやってもらわない方がまし」と思う介護者の気持ちと、「自分にもまだやれる。家族の役に立っている」という本人の気持ちの両方が記述される。ドクターは「自分でできることは少しでも続けてもらい、うまくできなくてもほめてあげることが大切。お茶やおやつなどのちょっとした報酬もいいですね」とコメントするといった具合である。
 何よりも認知症によって発症する一般的な事例を分かりやすく具体的に教えてもらえる点がいい。その上で、そうした事例についての介護者の一般的な見方が、いかに本人の気持ちと乖離しているかを告げる。ドクターコメントでその解説や処方が述べられる。「ご本人の気持ちを汲んだ介護者の方の穏やかな対応がどんな薬よりも優れた地領なのです」とは、冒頭の監修者である慶応大学の精神神経科学教授の言葉である。