高橋克彦著「炎立つ(参)」2015年07月07日

 高橋克彦著「炎立つ」の第三巻を読んだ。「前九年の役」と称される奥州安倍一族と源氏の攻防の後半の物語である。第二巻は「黄海の戦い」での源頼義の無残な敗北をもって幕を閉じた。
 第三巻はその頼義が様々な策謀をもって再び阿倍氏に戦いを挑み、最終的に安倍一族を滅亡させて前九年の役に勝利する物語である。頼義巻き返しの決定的な要因は、出羽の豪族・清原氏の頼義への加担だった。それまで中立を保ってきた清原氏は、「黄海の戦い」での阿倍氏の圧倒的な強さを思い知らされ、いつか奥州の覇者阿倍氏に屈服させられることを恐れたのだ。
 清原氏参戦によって形勢は一気に朝廷側有利となる。わずか3千の麾下しかなかった頼義に清原氏の1万の軍勢が加担した。緒戦の小松柵の戦いから頼義軍は優勢に闘いを進め、安倍氏の拠点である厨川柵の攻防で一気に勝利する。阿倍氏の棟梁・貞任は深手を負って捕えられ頼義の面前で息を引き取り、もう一人の旗頭・藤原経清も義家に捕えられ、頼義によって錆び刀で斬首される。唯、阿倍氏の血を引く結有と夫・経清との実子・清丸だけは、阿倍氏再興の望みを託されて辛うじて生き延びる。
 第三巻の記述の中で主人公・経清の述懐を通して作者の想いを垣間見た。「公卿が本当に恐れているのは、国家の方針に逆らい続けている頼義のために死んでいく兵が何千といる事実にある。(略)肝心の頼義がそれに気付いていないのは、国のまぼろしに誑かされているせいだ。(略)阿倍や物部が遥かに早く朝廷の支配する国家が形骸であると見抜いたのは、階位や官職と無縁な生き方を強いられたからである。国から外れたところにこそ理想と自由がある。」
 巻末の解説でも、「我慢強く口数少なく勤勉」という東北人のイメージについて東北人である作者のつぶやきにはっとさせられた。「それって、まるきり使役する側の理想だよね。使用人は、忍耐強く、無駄口をきかず、体惜しみをしないのがベストでしょ。それって、東北人への巧妙なマインド・コントロールなんだよ。(略)一般の人々に、そういった東北人のステロ・タイプ化されたイメージが浸透していること自体、由々しき問題なんだよね。無意識の差別というのがいちばんタチが悪いんだ。なんせ、いってる当人は差別とはぜんぜん思ってないんだから。」