ラトビア共和国2010年01月19日

 早朝ウォーキング途中のいつものマクドナルドである。五木寛之の新装版文庫本「青年は荒野をめざす」を読んでいた。1967年著作の作品である。20代半ばに夢中で読んだ筈の作品だ。主人公のジュンがフィンランドからバルト海を超えて船でスウェーデンのストックホルムに向うくだりだった。「バルト海」というキーワードが34年前の懐かしい思い出を運んできて、しばらく物思いにふけった。
 労組の書記長という役職にあった当時、今はロシアとなった社会主義国家・ソ連を訪問した。友好労組の上部組織の訪ソ団の一員としての訪問だった。モスクワ、レニングラード(サントペテルブルグ)と訪ね、最終訪問地のリガを訪ねた。ソ連に併合されたバルト海沿岸の国・ラトビアの首都だった。
 ラトビアの受入側スタッフのひとりとしてアルビーナという30代の美しい女性が出迎えた。30歳という訪ソ団で最も若い世代だった私と何かと言葉を交わす機会が多かった。片言の英語で話し合えるという強みが幸いしたこともある。二日目の歓迎パーティーの席上だったと思う。幾分の酔いも手伝ってか、隣り合わせた彼女の口から思いがけない心情が吐露された。ロシアに蹂躙され続けたラトビア(彼女は「ラティア」という愛称を使っていた)の人々の独立への熱い想いだった。ソ連邦崩壊の15年前のことである。ブレジネフ書記長体制が盤石の基盤を誇っていた時期である。出会ったばかりの異邦人に語らずにはおれなかった彼女の言葉にラトビア人たちの想いの深さを知らされた。私にとっての初めての民族問題との出会いだった。同時にそうした心情を吐露されたことを内心嬉しく受けとめた。それから16年後にラトビア共和国は独立を勝ち取り、その7年後にEU加盟を果たした。
 「青年は荒野をめざす」は五木寛之のソ連や北欧を旅した体験がベースになった作品だ。30代早々のその後の作家活動に重要な影響を与えた筈の旅だった。私にとっても初めての海外の旅だったソ連訪問は、多くの感動といくつかの波乱に富んだ体験をもたらした。その貴重な体験をいつか短編に綴りたいという願いが彷彿と沸き起こった。

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