映画評「最後の忠臣蔵」2010年12月23日

 心配していた病の検査結果が当面問題なしと判明した。軽やかな気分で予約していた映画「最後の忠臣蔵」を鑑賞した。いい映画だった。映像美、テーマ性、わくわく感や感動、出演者たちの演技・・・。映画に求める個人的なニーズをよく満たしてくれた作品だった。
 舞台設定のこだわりが映像美を余すところなく引き出している。主要舞台となった京都嵐山の竹林と萱葺き家の佇まい、オープニングの高波の海、随所に盛り込まれた人形浄瑠璃の舞台と実際の太夫が演じる曽根崎心中のお初、徳兵衛の人形の所作。時代劇ならではの日本人の魂に響く美しい風景が展開する。
 大石内蔵助から仇討後の死に場所を与えられなかった二人の侍の物語である。ひとりは討ち入りに参加するものの「真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」との密命を受けて生き延びた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)。もう一人は、討入り前夜に姿を消した大石家の用人・瀬尾孫左衛門(役所広司)である。まもなく生まれる内蔵助の隠し子を極秘に育てる密命を帯びての出奔だった。吉右衛門の使命こそが公務である。孫左衛門の使命は大石家の家政に過ぎない。にもかかわらず孫左衛門と内蔵助の娘・可音との物語が映画の中心として描かれる。家政に過ぎないミッションを遣り遂げた孫左衛門に残された選択肢はひとつしかない。観客は孫左衛門がなぜ腹を切らねばならなかったかと考えさせられるに違いない。孫左衛門は「武士としての死」を全うすることで、武士を捨てて後半生を生きた自分の生き方に辛くもけじめをつけることができた。この作品のテーマ性をそんな風に整理した。
 孫左衛門が使命を果たし可音を嫁がせる日のシーンは感動的だった。孫左衛門と可音の別れの場面や、内蔵助の手配に生かされた多くの赤穂の旧臣たちが嫁入り行列に次々と加わる場面には涙させられた。役所広司、佐藤浩市の安定した演技に加えて、安田成美のゆったりした物言いと所作に徹した演技にも魅かれた。
 病の検査結果が暗いものだったとしたらどんな気分でこの作品を観賞できただろうとフト思った。ひょっとしたら病と向き合う覚悟を固める上で朗報を得ての観賞以上に意味あるものになったのではないかとも思える作品だった。

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