ポスティング2019年06月22日

 地区社協の広報紙「ぬくもり」は、毎年6月号は、通常の自治会員対象の自治会配布ルートでなく全住民を対象に配布している。従来はシルバーセンターに委託してコストをかけた配布だった。
 今年から地区社協役員や協力員の皆さんに分担して頂いて自前のポスティングでこなすことになった。特に敬老お祝い訪問の希望者募集のチラシの挟み込みもあり、秋の敬老お祝い品のお届け先確認の意味もある。
 私も隣町の対象エリアのポスティングを担当した。賃貸集合住宅が14棟94室もあり全戸数130のうち70%を占める。朝の散歩を兼ねて5時半頃から6時半頃まで約1時間でポスティングを終えた。集合住宅は1棟4室のタイプが多いが、8室や12室の大型棟も5棟ある。この大型棟は圧倒的に空室が多い。郵便受けにチラシが溢れている部屋や投入口を「投函不要」のシールで覆われた部屋も多い。
 実際に自分の足で回ってみて初めて地域の住宅事情が把握できたという実感があった。

高齢者交通助成割引購入証2019年06月23日

 今年も市役所から高齢者交通助成割引購入証が送られてきた。公共交通機関の交通費が最高5千円まで半額割引される制度である。JR、阪急・阪神の電車・バス、さくらやまなみバス、タクシー会社回数券などに利用できる。ICOCAやHanicaカードでのチャージも可能だ。私の場合は会議で南部に出かけることが多く、もっぱらさくらやまなみバス乗車用にHanicaカードのチャージで利用している。
 早速、チャージしてもらうため最寄りの阪急バス山口営業所に出かけた。購入証とHanicaカードに5千円を添えてチャージを依頼した。ほどなくチャージの明細書を添えてカードが返された。明細にはチャージ残高11,900円が記されている。今回のチャージ分1万円にプレミアム1,00円が加算されている。チャージ前のカード残高は800円だった。
 1年前にも全く同じ形でチャージしたので残高800円はほぼチャージ金額相当分の年間バス利用だったということになる。途中のチャージの煩わしさのないまことにありがたい高齢者交通助成である。

50回目の記念すべきオヤジ会2019年06月24日

 ボランティアグループのちょい呑みオヤジ会があった。記念すべき50回目のオヤジ会だった。2014年1月の発足以来5年5カ月後の開催だった。この間延べ611人の皆さんの参加があり、1回平均12.2人の参加者になる。
 今回の参加者は初参加者1名を含めて12名だった。初参加者は白バイ隊の経験もある県警40年のキャリアをもつ方で陶芸、柔剣道、刀剣、魚釣り、旅行等の多彩な趣味人である。早速、参加者から交通取り締まり等の質問が飛び交った。
 事務局報告では「介護施設入門」をテーマに、特養、老健、ケアハウス、サ高住、デイサービス施設などの施設の解説と山口周辺の種類別介護施設の一覧情報を提供した。さすがに近い将来の切実なテーマでもあり、様々な意見や質問が相次いだ。施設のお遊戯の男性陣の抵抗感、画一ケアでない個別ケアの重要性、遠くの親戚の終末期医療への関与、リビングウイル、有料老人ホームとケアハウスの違い等々、本質的な問題指摘の多い議論だった。
 参加者近況報告も多彩な内容だった。ある参加者からはこの町で居酒屋やカラオケバーをやってみたいといった抱負が語られ参加者の喝采を浴びた。ご夫婦の金婚旅行の報告、自治会の在り方の疑問、孤独死は不幸かという問いかけ、丸山参道の清掃活動など閉店時間を多少オーバーした楽しいひと時だった。

ハグロトンボ2019年06月25日

 有馬川沿いの土手道を散歩コースに変更してから楽しみが増えた。自然の息吹や季節の移ろいを強く実感できるだけでない。しばしば生き物たちの生息を目にする機会が多くなった。
 シラサギや鴨やセキレイは毎日のように目にする。昨日は土手道に捨てられた茶色の紐を目にした。近づいてよく見るとヤマカガシのような蛇の赤ちゃんだった。一瞬ドキッとしたがそっと迂回して離れた。
 今日目にしたのは子どもの頃にイトトンボと呼んでいたハグロトンボだった。土手道の有馬川と反対側の斜面の草むらに群れをなして羽を休めていた。
 心和む風景を目にしながら初夏の早朝散策を楽しんだ。

浅田次郎著「壬生義士伝(上)」2019年06月26日

 書棚にある蔵書の再読が続いている。といってもこの歳では推理小説や外国小説や歴史小説は再読する意欲が湧かない。もっぱら藤沢周平、乙川優三郎、山本周五郎等の時代小説である。それらの再読もほぼ読み尽した。次の選択に窮してやっと手にした作品がある。
 浅田次郎著「壬生義士伝」である。上下二巻で各450頁前後の長編である。それだけに再読に着手するには重たい作品でもあった。実在の人物である元新選組隊士・吉村貫一郎の物語で、時代小説というより歴史小説に属する作品だろう。初めて読んだ時、久々に流れ落ちる涙を止められなかった記憶がある。「浅田文学の金字塔」と言われるのもむべなるかなの感があった。その上巻をようやく読み終えた。前回の書評が5月初めだったので1ケ月半以上かかって読了したことになる。
  書き出しは極めて鮮烈である。鳥羽伏見の戦いで敗れた主人公の貫一郎が旧主の南部藩の大坂蔵屋敷に満身創痍で辿り着く。蔵屋敷の切れ者の差配役・大野次郎右衛門は貫二郎の幼馴染みでかつての組頭である。対面した大野は貫二郎に切腹を命じる。ここから場面は一転して貫二郎の生い立ちから新選組入隊以降の足跡を、教え子や新選組隊士たちの証言を借りて綴っていく。その過程で貫二郎の生き様と想いを鮮やかに浮かび上がらせる。
 上巻を読み終えた段階では涙するほどのシーンはない。いつそうした場面に連れて行ってくれるのだろう。そんな期待を抱きながら下巻を手にした。

自分史発行の想い2019年06月27日

 自分史を発行しようと思い立ったのはいつ頃だろうか?書棚には1998年発行の野口悠紀雄著「『超』自分史ガイド」という本がある。購入したのは53歳の時である。自分史発行を考えていた時期を裏付けるものである。そこで当時の自分の置かれた環境や過ごし方を振り返ってみた。
 53歳といえば勤務先の子会社事業の管理部長に就任したばかりの年である。43歳で20年に及んだ労組役員を退任し、店長やフランチャイズ事業責任者や子会社再建事業等を手掛けた末の就任だった。それは自分のビジネスライフの絶頂期でもあった時期と重なる。反面、当時の定年年齢は60歳であり、残された現役生活のカウントダウンも念頭においてリタイヤ後のセカンドライフのイメージも意識し始めた時期でもあった。
 事実、50歳前後から個人的な様々な分野に着手している。通信教育を8講座受講し、消費生活アドバイザーや初級システムアドミニストレータ―の資格を取得した。異業種交流会に参加したり夫婦で初めての海外旅行にも出かけた。パソコンを購入し個人ホームページを立ち上げた。リタイヤ後のセカンドライフに現役時代の肩書は無縁であることを多分に意識していた。そのためリタイヤ後にどんな名刺を作成できるかというイメージでそうした一連の挑戦に着手したと思う。
 そんな時期の「『超』自分史ガイド」の購入である。頁を繰るとあちこちにマーカーの跡があり結構本気だったことが窺える。恐らく豊かなセカンドライフの構想を描きながらその集大成としての自分史発行を夢想したということだろう。そして今、発行に向けた執筆と編集に本格的に着手した。

認知症カフェで「べんり帳」を紹介した2019年06月28日

 7回目の認知症カフェ・にこにこ丸山カフェが開催された。生憎の台風含みの雨模様で時おり激しい雨足に見舞われる天候だった。一般参加者のいつものような来場は期待できないと懸念していた。ところがふたを開けると15名といういつも通りの参加者だった。
 会場は七夕の演出で彩られていた。山口地区のボランティアスタッフの尽力であちこちに笹竹が設置され折り紙のデコレーションや短冊が飾られた。来場者には何枚かの短冊が配られそれぞれに願い事を書いてもらい笹竹に飾られる。カフェ閉店後には吊るされた参加者の短冊の部分の竹が切り取られて持ち帰ってもらった。なかなかきめ細かな七夕イベントの演出だった。
 閉店20分前から、私から認知症サポートべんり帳北六甲台地区版紹介のプレゼンをさせてもらった。べんり帳パンフとプレゼン用資料もスタッフも含めて配布した。参加の半数以上は北六甲台地区外の皆さんで、パンフを初めて目にする方も多い。認知症をキーワードに集ってもらった皆さんへのプレゼンは、あらためて丸山カフェがオール山口の認知症取組みの拠点の役割を担っていることを実感した。
 片付けの後、スタッフ21人による反省会があり、久々に参加させてもらった。会計の選任、カフェ案内チラシの配布方法、北部地区の認知症つながりフェアの案内、専門職によるイベント実施の在り方等の盛りだくさんの事項が確認された。
 丸山カフェが地域に着実に根付いている。

自分史編集の癒しの日々2019年06月29日

 このところ空いた時間を見つけては自分史編集に励んでいる。膨大な分量の冊子になりそうだ。「私の履歴書」「テーマ別自分史」「著作集」の3部構成を予定している。
 「私の履歴書」は、今も続いている日経新聞朝刊の連載読み物をイメージした私自身の編年体の自分史である。これに対して「テーマ別自分史」は紀伝体に相当する自分史で、映画、趣味、読書、病気、旅行などのテーマごとの思い出を綴った。「著作集」は学生時代以来の数々の論文集、活動記録集、エッセイ集、作品集などを収録する。
 「私の履歴書」と「テーマ別自分史」は新たに執筆が必要だったが9割がたは書き終えた。著作集については幼児頃からの作文好きの習性が多くの著作を残している。弁論部という大学サークル、社会人出発当社からの労組リーダー就任、ホームページやブログの立上げ、リタイヤ後の地区社協活動等に身を置いたことが膨大な著作の背景でもある。これらの著作の編集作業にかなりの時間を要している。
 何はともあれ、自分自身の人生の棚卸ともいえる作業であり、追憶の旅に浸れる癒しの時間をもたらしてくれる。

一時帰国のフィリピン永住の知人を囲む会2019年06月30日

 18年前からフィリピンに永住している現役時代の知人がいる。50代前半で伴侶を病でなくし、それをきっかけに海外移住を考え、57歳の時に移住に踏み切ったとのこと。
 その知人S氏が奥さんの年忌法要で一時帰国された。現役時代の知人たちの呼び掛けで大阪難波の料理屋でS氏を囲む懇親会が開催された。彼は労組結成時の中心メンバーだった。そのつながりで労組役員OB達を中心に16人が顔を揃えた。
 17時から始まった懇親会はS氏のフィリピン生活の現状報告を皮切りに参加者全員の近況報告で19時過ぎまで続いた。飲み放題の飲酒も手伝ってしばしば突っ込みが入り脱線する。話題の中心はやはりS氏のフィリピン生活に関わるものだ。移住後の早い段階からの10数歳若いメイドさんとの交流、メイドさんの娘さんへの経済的支援、フィリピン社会の貧富の格差や差別の実態、日本の半分程度の生活費等々。
 伴侶の死を契機とした大胆な人生設計の転換は、S氏に波乱に満ちた充実した老後をもたらしたようだ。日本在住の子どもたちもフィリピンを終の棲家とするという彼の決断を支持しているとのこと。S氏のそうした人生模様をチョッピリ羨ましく聞きながら自分には到底できなかっただろうと思わざるを得なかった。