娘夫婦の時期外れの帰省2014年11月01日

 この三連休を利用して昨晩から娘夫婦が時期外れの帰省をしている。お盆の帰省ができなかったという事情もある。昨晩は10時半過ぎに来訪した娘夫婦と言葉を交わして就寝した。
 今朝、早朝散策を済ませて帰宅したのは8時前だった。起きたばかりの家内の姿があるばかりで娘夫婦はまだ寝ている。9時過ぎになってようやく起きてきた。家内は久々の娘の帰省で一緒に買い物に行くべく手ぐすね引いて待っていた。
 10時過ぎに家内と娘は一緒に三田方面に出かけた。リビングで婿殿と二人でそれぞれの時間を過ごした。12時過ぎに母娘が帰宅した。さすがに久々に帰省した婿殿の昼食をほっとけない。今度は婿殿も含めて三人で昼食に出かけた。父親はひとりでいつも通りありあわせの食材で食卓に向かった。2時前に近くまで車で送られた婿殿が帰宅し、再びリビングで舅と婿のそれぞれの時間が始まった。
 新婚当初は娘夫婦は帰省すると家内と三人で買物に出かけるのが常だった。だんだん婿殿も世の亭主族同様に嫁の買物に付き合うことのバカバカしさを悟ったのだろう。最近は最小限の付き合いにとどめている。かくして母娘と舅婿の組合せで過ごすパターンが定着しつつある。

娘夫婦と仁木家のステーキ2014年11月02日

 昨晩、娘夫婦と一緒に有馬川仁木家に出かけた。和と中華の店を閉店し、10月中旬にステーキダイニングとして再オープンしたばかりの店だ。オープン2日目に家内と一緒に特製ハンバーグを味わった。 http://ahidaka.asablo.jp/blog/2014/10/12/7456716 ステーキは子どもたちが戻った時に食べに来ようと思った。
 先日、オープンの時にはなかった案内ハガキが店から届いた。ハガキ持参でオープン記念の「三田の新米」のお土産があるという。おりしも娘夫婦が帰省中である。事前予約し早速出かけた。案内された個室で赤身モモステーキ(3,500円)と男2人の生ビール(550円)を注文した。
 生野菜、重箱入りの前菜、豆乳スープ、メインディッシュ、ドリンク&デザートというコースメニューはメインディッシュが違うだけで前回と全く同じである。鉄プレートに盛られたメインのステーキは、ジュウジュウと焼き音のするアツアツステーキかと思ったがその趣きはない。出来立て感はあるが物足りなさは否めない。お肉自体は柔らかくて上質感があり味わい深い。
 食事を終えて7時過ぎに個室をでた。しっとりと落ち着いた店内のオープンテーブルにお客さんの姿はない。内装やメニューのグレードを上げ客単価を上げることで客数減も辞さずという営業方針のように思えた。山口地域では比較的ハイグレードな和と中華の店として有馬川仁木家がオープンした。その店があっけなく閉店し、再オープンした。よりグレードアップしたステーキダイニングが仁木家の選んだ再生のコンセプトだった。果たして奏功するかどうか。

山口公民館文化祭2014年11月03日

 昨日、山口センター4階で開催中の山口公民館文化祭に出かけた。いつもは一緒の家内は、今回は娘の帰省でそれどころではない。朝10時過ぎに会場の山口公民館に到着した。
 4階ロビーのすぐ先の第1集会室に公民館講座の「講座風景写真と作品展」の展示がある。入口正面の壁いっぱいにジャンル別・講座別に講座風景写真が展示されている。「郷土史」ジャンルには、私の「有馬郡物語」と「隣町風土記・名塩」の二つの講座の風景写真があった。従来になく力の入った展示だった。講座風景のスナップ展示だった従来の方式が、30講座の講座別に展示されている。今後の講座案内として今月8日の名塩散策講座の「散策マップ」の展示もあった。当番の推進員さんから「先生」と呼ばれ気恥ずかしい気分で雑談を交わした。
 隣の工芸室には陶芸サークルの作品展示がある。ご近所の奥さんや旧地区の知人の主婦たちの作品が並んでいた。当番はいつも私の講座を受講してもらっている知人のサークル会員だった。メンバー提供の箸置きのプチ作品を頂いて、年々レベルアップする作品群を観て回った。
 廊下の壁には書道と日本画の作品と写真作品が展示されている。ここでも当番は娘どうしが同級生である旧地区の知人の主婦である。こんな時にしか話が交わせない。お互いの娘の消息を語り合った。
 第2・第3集会室は大展示場である。メッシュクラフト、絵手紙、書道、編物などの作品群が展示されている。絵手紙教室の先生のご主人と懇談した。同じ住宅街の住人で9年前に自治会副会長をしていた時の担当の防犯・環境委員だった方だ。久々の邂逅でその後の住宅街の高齢化の深刻さなどを語り合った。
 その隣の調理実習室では、山口の2つの料理グループの料理作品の展示と試食会があった。ここでも試食のプチおにぎりやクッキーをコーヒーを頂きながら当番の同じ住宅街の知人の主婦と歓談した。
 会場を出て2階の山口老人憩いの家に立ち寄った。文化祭恒例の山口のボランティアセンターによるコーヒー&ケーキの接待がある。当番のおひとりは民生委員の同僚である。紅茶を頂きながらしばらく懇談した。
 山口センターを11時半頃に後にした。文化祭会場で顔を合わし懇談する知人が年々増えていく。文化祭での展示作品や展示方法も年々レベルアップしている。文化祭という地域のカルチャーグループの発表の機会の充実ぶりは地域文化の定着と向上を物語っている。

我が街の文化祭2014年11月04日

 三連休の最後の日は、我が街の文化祭に出かけた。2千世帯を擁する新興住宅街の様々な団体や個人がこぞって参加する自治会主催の文化祭である。
 街の中心部にコミュニティセンターと自治会館の二つの施設がある。コミュニティセンターのホールでは福寿会(老人会)の同好会や地域のサークルの発表会が10月30日から11月2日まで開催された。自治会館の会議室とコミュニティーセンター小会議室では地域のボランティア組織8団体の活動紹介パネルの展示や書道、編物、写真、絵画、陶芸、生け花などの作品展示がある。
 最終日の10時から15時まではコミュニティセンターホールで社協のふれあい喫茶が開催された。お茶とお菓子が振る舞われ、文化祭関係者や地域住民が自由に交流できる場である。13時から15時までは子供みこしがコミュニティセンターを起点に周辺を練り歩く。これもまた子供を持つ若い世代の住民交流の機会となっている。
 最終日の午後の会場で社協広報紙掲載用の写真を撮った。その後、コミュニティセンターのふれあい喫茶で寛いだ。同じテーブルには後片付け要員で動員されたとおぼしき自治会の男性班長たち数名の姿があった。全員、地域ではほとんど交流することのない中年の現役世代たちである。いい機会だと思い話しかけた。高齢化著しいこの街の実態と終の棲家になり難い現状を伝えた。老後の地域生活のイメージを描くことは稀な世代である。一様に驚きと懸念の表情が窺われた。自治会の在り方等についても意見交換でき、貴重な交流の機会を持てた。
 15時になり文化祭の後片付けが始まった。重いテーブルを運んいる現役世代の班長さんたちの姿を頼もしく眺めた。

映画「インビクタス/負けざる者たち」2014年11月05日

 先日、BS-TBSで放映された映画「インビクタス/負けざる者たち」の録画を観た。久々に見応えのある余韻の残る映画だった。27年に及ぶ投獄生活を経て南アフリカ大統領に就任したネルソン・マンデラの就任直後の民族和解の奮闘を描いたものである。
 大統領就任直後、マンデラは初登庁の日に前政権のスタッフだった白人職員を集めて呼びかける。「辞めるのは自由だが、新たな南アフリカを作るために協力してほしい。あなたたちの力が必要だ」。白人政権によるアパルトヘイトで長期に投獄され数々の障害まで負ったマンデラの民族融和の呼びかけである。アパルトヘイト体制下での国際社会からの経済制裁や人種間対立、民族間対立で疲弊しきった国を再生する上で民族融和は何としても成し遂げなければならないテーマだった。高い志を持って困難を乗り越えようとする強い意志に支えられたマンデラの呼掛けに多くの職員が同意する。
 マンデラは側近たちの反対を押し切って、ラグビーというアパルトヘイトの象徴的なスポーツの南アフリカ代表チームを全面的に支援する。自国で開催されたワールドカップで代表チームが見事に決勝戦を制した時、南アフリカは初めて人種や民族を超えた一体感を共有する。
 マンデラが繰り返し口にする詩が印象的だった。「我が運命を決めるのは我なり、我が魂を制するのは我なり」。超越した克己心をもって苛酷な運命を切り開いた不屈の精神の呟きである。「負けざる者たち」の原点というべきか。
 民族対立が激化している。ちまたで、ネット上で、傍若無人なヘイトスピーチが横行し、民族対立を煽っている。そんな状況下でのこの作品の観賞だった。ネルソン・マンデラの崇高な精神を噛み締めた。

国民の不幸をネタにしたカジノ推進法案という成長戦略2014年11月06日

 知人がブログで「国民の不幸が収益に・カジノ法」と題して健筆をふるっている。「国が賭博という闇世界のシノギに公然と手を出そうとする」流れに「異議あり!」と声をあげている。大いに賛成であり、拍手を送りたい。
 カジノ推進法案は、IR法案(カジノを中核とした統合型リゾート)と名前を取り繕おうが、まぎれもなく「賭博解禁法案」である。「江戸幕府以来今日まで、賭博を禁じる場合も容認する場合も、時の為政者は賭博を反社会的な行為(悪)とする姿勢だけは崩さなかった」と指摘したうえで、「今回のカジノ法案では、カジノを統合型リゾートの中核に据えることでアベノミクスの第三の矢の成長戦略の目玉として推進しようとしている」と、賭博そのものを陽の当たる場所に引き出したとする。
 「厚生労働省の研究班は今年8月、国内でギャンブル依存症の疑いのある人は、推計で成人の4.8%、536万人に上ると発表した。日本の比率は米国の1.6%や韓国の0.8%と比べ格段に高い」という現状で、カジノ法案の成立はこれに拍車をかけることは疑いない。まさしく「国民の不幸をネタにした成長戦略」というほかはない。
 このブログで以前、水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」と広井良典著「定常型社会」という著作の書評を記述した。いずれも今日の資本主義社会の行き詰まりを説き、これからはいたずらに成長を追い求めることなく「ゼロ成長社会(定常型社会)」を目指すべきと主張する。アベノミクスとは、まさしく無理な成長を求めるが故の、国民に悲惨な不幸を呼び寄せ、国の品格をも貶める成長戦略と言えよう。

深秋の散歩道2014年11月07日

 一陣の風が吹いて目の前でさくらの枯葉が一斉に舞いだした。しばらくカサカサと乾いた音が続いた。さくら並木の続く有馬川土手道は、すっかり深秋の装いに包まれていた。土手道のわだちを枯葉が縁どっている。わだちに沿って歩いた。スニーカーが踏みしめる枯葉の音が心地よい。

名塩講座公民館講座「名塩の歴史」2014年11月08日

 一カ月前に山口公民館講座「隣町風土記・名塩」を開講した。その時、名塩探史会の数名の会員さんにも受講して頂いた。受講者には探史会の副会長で著名な郷土史家の亥野彊さんの姿があり、ご挨拶した。その際、名塩公民館で亥野さんの「名塩の歴史」の講座が開講されることを知った。受講をお願いしていたその講座が昨日あった。
 JR名塩駅前の塩瀬センター3階の塩瀬公民館講堂が会場だった。講堂入口に講師の亥野氏所蔵の古文書が展示されていた。戦国期に蓮如上人から与えられたという亥野家所蔵の上人自筆の南無阿弥陀仏の六字名号がひと際目についた。当時の集落24家に与えられたと伝わっており、亥野家は当時から続く旧家ということになるのだろう。その他、名塩和紙で作られた藩札・私札、緒方洪庵の短冊、名塩出身の緒方洪庵の八重夫人の手紙、尼崎藩からの札紙注文書、名塩に送られた幕末の生麦事件の情報文、泥入り漉紙の現物等々、貴重な古文書が展示されていた。
 受講講座は、毎月開催される公民館講座のひとつで「名塩講座」と「生瀬講座」に分かれている。講座の企画運営はそれぞれの老人クラブ連合会の担当である。受付で面識のある探史会の江本さんと挨拶を交わした。主催者の皆さんに紹介され、最前列の席に案内された。9時半開始の講座に100人前後の受講者がつめかけた。主催者挨拶、西宮市の広報DVDの視聴、健康体操と続き、「名塩の歴史」の講座が始まった。
 配布された4頁の講座資料には「名塩の歴史」「紙漉きの歴史」「藩札と私札」「緒方八重と適塾」の記述がある。亥野講師から頂いていた著作「名塩抄史」を抜粋されたものである。最初に講師所蔵の名塩の昔の写真のスライド上映があったが、スライド機の不調で数枚しか映されなかった。ただ今は存在していない木之元の牛宿の写真が興味深かった。名塩にも東久保と同じ合宿(あいのじゅく)があったのだろうか。
 「名塩抄史」を読んだ身には、講座内容に新鮮さが欠けるのもやむを得ない。ただ緒方八重夫人が13人の子を産み4人の男児をオランダ、フランス、ロシア、ドイツの各国に留学させたという話や、名塩に開塾した伊藤慎蔵の塾からあまたの人材が輩出し、二人の山口出身者もいたという話は興味深かった。
 講座終了後に、会場から貴重な情報が寄せられた。紙漉き元祖と伝わる東山弥右衛門は越前地方では越前出身者で名塩に紙漉きを伝えた人物として小学校の教科書にも掲載されて伝わっているという情報だった。終了後に情報提供者が紙漉きの人間国宝・谷野武信さんの弟さんだと教えられ、さもありなんと納得した。

山口公民館講座「隣町風土記・名塩を歩く」2014年11月09日

 昨日は私の第11回山口公民館講座「隣町風土記・名塩を歩く」の日だった。ご近所さんや住宅街の老人クラブの皆さんと同じバスで集合場所のJR名塩駅前のロータリーに着いた。既に公民館推進員の8名の皆さんが集合し、受付を始めてもらっていた。定刻の1時半にはお子さん二人を含めて総勢43名の方が集合した。講師として簡単な挨拶をして出発した。
 駅と高台の名塩ニュータウンを結ぶ高低差60mの斜行エレベーターに乗車する。初めての人も多くこの乗車自体が講座のポイントでもある。下車した先のコートには画家・彫刻家の池で田満寿夫氏のモニュメントとレリーフがあった。地元・東山台在住の名塩探史会の方からの情報だった。
 東山台の住宅街を西に向かい広大な塩瀬中央公園に向かって長い階段を降りた。円形広場の先を抜け山中の杣道に入った。しばらく行くと下滝が見えた。前回の下見では雨上りで豊富な水量を目にしたが、今回はわずかに二筋ほどの流れを確認するばかりだった。
 丘陵の斜面に建ち並ぶ集落の細い路地を抜けて教行寺に着いた。事前にご住職に連絡しご案内をお願いしていたこともあり、すぐに本堂に案内され、還暦過ぎのご住職の講話を伺った。破天荒でユーモア溢れる話ながら親鸞の教えに帰依する道筋を体験的に語られたと受け止めた。講話の後、本堂前の階段で参加者全員の集合写真を撮った。シャッターを押して頂いたのはご住職の息子さんだった。
 教行寺の急な坂道の参道を教蓮寺、源照寺を横手に見ながら176号線まで降りた。信号を渡り蘭学通りを東に向かう。すぐにJA名塩支店玄関先に建つ緒方八重の胸像前に着いた。ここで名塩探史会の江本さんに頂いた八重夫人の生家である旧・億川邸の拡大写真が役立った。参加者に写真を示しながらJA支店の建物が億川邸跡地に建てられたもので億川邸の一角で伊藤慎蔵の蘭学塾が開塾されたと説明した。
 蘭学通りを東に進み、名塩八幡の参道を南に向かった。江戸中期の年号の刻まれた石の鳥居をくぐり境内に着いた。秋祭りには8台もの壇尻が勢揃いする広場である。境内正面の長くて急な石段をのぼり本殿に参拝した。本殿のガラス戸越しに岩倉具視卿奉納の提灯が見えた。
 名塩川沿いの風情のある小路を西に進み名塩和紙学習館に着いた。2階の展示室で名塩和紙の歴史パネル、和紙の現物、道具等を見た後、集会室で「名塩和紙」の15分ビデオを試聴した。ここが最終ポイントであり解散場所でもある。最後の挨拶をして散策講座を終えた。曇りがちながら天候にも恵まれ、年配の方の参加も多い起伏のある屋外散策だったが、全員無事に修了できたことが何よりだった。目の前のバス停で16時過ぎのバスに乗車し帰路に着いた。

高齢者ケアと自治会2014年11月10日

 社協分区の福祉ネットワーク地区会議の設立に向けた準備が進んでいる。団塊世代が後期高齢者になる2025年問題を見据えた地域包括ケアの環境づくりである。在住の2千世帯を擁する新興住宅街の40%以上が高齢者在宅世帯であり、高齢化率は24%を超える。高齢化対応は全世帯の約9割の会員を誇る自治会にとっても放置できない重大課題である。
 ところが多くの新興住宅街の自治会同様、我が自治会も1年任期の自治会役員は毎年4月総会には全員総入替えとなる。クジ運やせっちん詰め状態で不運にも役員を引き受けざるを得なかった面々は、大過なく恒例行事を済ませて任期満了を迎えることをひたすら願っている。高齢化対応などの長期の重たい課題を新たに取組むなどもっての外という気持が強い。
 とはいえ放置できない事態も顕在化してきた。4年前に住宅街にあったスーパーが退店を決めた際にも自治会は何ら手を打てなかった。以来、お年寄りの買物弱者化が顕著になった。重いコンテナの出し入れが必要なゴミステーション当番にも悲鳴が聞こえる。坂道の多い地形で車の免許返上後は移動手段の不便さから阪神間のマンションに引っ越す高齢世帯も出てきた。空き家の増加は環境悪化、防犯問題、資産価値低下を招いている。
 民生委員の立場からも高齢化対応は避けて通れない。3年前の自治会総会で自治会の対策着手を訴えた。今年の総会では事前の自治会三役との調整で「ネットワーク会議発足時には自治会も参加する」旨、議案書に明記された。他方で社協の担当役員として「福祉ネットワーク会議構想」を策定し組織内の承認を得た。福祉ネットは、社協を中心に自治会、老人会、ボランティアセンター、民生委員が連携して高齢者、障がい者、介護者のケアに取組もうというものである。
 自治会が自ら中心になって高齢者対応に取組むのは困難でも、社協中心の対応の場に参加することは可能である。先月初めに社協策定の福祉ネット構想案(趣意書・事業計画案・会則案・組織図)を自治会長に届け、中旬の三役会で説明と質疑を行った。三役会の前向きな賛同を得て総会に次ぐ機関である班長会議での説明を求められた。先日その班長会議があり、説明と質疑を経て大多数の賛同が得られた。
 長期の重大な新規案件に取組み難い構造の自治会の制約を、主管の地域組織が中心になって自治会も巻き込んだネットワーク組織で乗り越えるという現実的で効果的な方策が見いだせた気がする。