五木寛之著「他力」2009年06月11日

 五木寛之の著作の5冊目の書評である。前回書評した「百寺巡礼」風に言えば著作を通して五木寛之という作家の精神世界を巡礼しているのかもしれない。
 約10年前に出版された「他力」は、著者の66歳の時のエッセイ集である。今の私の年代に近い年代での想いが綴られているといえよう。「想い」という以上に五木寛之という作家の人生観の「到達点」が『他力』ということなのだろう。
 彼が考える「他力」ということについて様々の角度から100の章に渡って語られる。法然、親鸞、蓮如の事跡を通して語り、生・老・病・死に真正面に向き合うことで語り、自分自身を見つめ直すことで感じ、他力を通して眺める今日の社会・経済の在りようを嘆き、自分を超える大きな力の存在としての他力を語る。
 「わがはからいにあらず」。親鸞の言葉であり、五木寛之自身が愛する言葉である。「なるようにしかならない」「しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ」と解釈する。私自身が受け止めた「他力」の本質だった。老いが間近に迫り、死を感情的にならずに考えられる年齢に到達した。「わがはからいにあらず」という言葉をこれから幾度となく呟くことだろう。
 
 先日、Amazonで「蒼ざめた馬を見よ」「風の王国」「蓮如」の3冊を購入した。私の五木作品の巡礼の旅はまだまだ続きそうだ。

総理の不決断とリーダーシップの不在2009年06月12日

 3時過ぎに配られる夕刊のトップ記事に「鳩山総務相更迭へ」という大きな白抜き文字が躍っていた。追いかけるようにテレビのニュース報道は「鳩山辞任」を一斉に流している。
 報道によると、麻生首相は盟友でもある鳩山総務相に、「西川社長の鳩山総務相への謝罪を条件に社長続投を容認する」という調整案を提示したという。調整案を拒否した総務相が辞任にサインしたという流れである。
 総務相の「謝罪すべきは私でなく国民だ」という主張の方がはるかに説得力を持つ。それ以上に日本のトップリーダーたる総理大臣のお粗末の一語に尽きる「調整」に唖然とする他はない。問題先送りの果ての追詰められた末の調整の場である。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬がある」くらいの大胆な決断を籠めた調整抜きには決着不能の事態である。そのギリギリの場面での上述の子供だましの如き調整案である。盟友の怒りが事態を一層深刻化させるのは火を見るより明らかだ。
 リーダーシップとは優れた決断の積み重ねの上に担保されるものである。優れた決断とは過酷な環境下で限られた選択肢を自ら設定し、より高次の価値観と判断力で選び取ることではないか。選び取るとは捨てることでもある。何も捨てない選択は決断とは無縁である。先の調整案には提示者である総理の身を切る想いで捨て去った覚悟のほどが微塵も感じられない。それはそのまま「不決断」と「リーダーシップの不在」の証しでしかない。
 この程度の人物に我が国の国政が委ねられているのかという想いに駆られたのは私だけだろうか。

総理の言語能力2009年06月13日

 昨日夕方の鳩山総務相更迭のニュースが駆け巡って一夜明けた。今朝の新聞報道の続報では、昨日の首相の稚拙な調整の背景と経過が伝えられている。
 それによれば首相は当初、西川社長交代の意向だったという。そのため2月に総務相に社長を含む取締役一新を指示した。これを受け総務相は5月に入り、一部の指名委員会の委員に「西川辞任」の多数派工作を始めた。この動きを察知した竹中元総務相が小泉元首相と相談の上「西川続投」で説得に回り、首相や鳩山氏の動きを封じ込めた。元々、小泉構造改革に積極的な財界人が名を連ねる指名委員会である。結局5月18日には西川続投の方針を決定した。
 この報道を通して見えてくるものは、明らかに小泉構造改革を巡る路線闘争である。小泉改革は、「市場原理」「自己責任」を軸としたグローバル資本主義の申し子である。郵政民営化はその象徴的な取組みだった。その小泉構造改革の負の遺産が小泉後の自民党政権を揺さぶっている。安部、福田と二代続いた短命政権は負の遺産のツケの支払いと言えなくもない。既にアメリカではオバマ政権が誕生し、行過ぎたグローバル資本主義の弊害是正に着手している。この流れは先進国の大きな流れとなりつつある。麻生政権に至ってようやく郵政民営化の負の部分が公に議論の俎上に登るようになった。首相自らが極めて稚拙な形の表明ながら「実は賛成ではなかった」と言わしめた背景がここにある。その意味では首相は堂々と政策論争に打って出るべきであった。世論の多くは日本郵政の不透明さを追求する鳩山氏を支持しているという追い風もあった筈だ。しかしながら結局、首相はトカゲのシッポを切る形で自らの延命をはかった。
 1ヶ月くらい前だろうか。国会中継で野党議員が日本郵政の取締役選任の総務大臣の認可権について「首相はこの問題に容喙しないのか」と首相に糺していた。首相は怪訝な顔をして「ヨウカイ?」と言葉を濁す。事務方らしき人物が「口をさしはさむことです」と耳打ちしていた。この程度のボキャブラリーすら彼の脳裏の辞書にはなかったのだ。小説や文学を読み込んでいない麻生総理の限界が露呈したと思った。漫画が好きなのではない。文学が苦手なのだ。お坊ちゃん育ちの甘えとわがままがそのような育ち方を許したのだろうか。人は言語を通じて自らの考え方を練り上げ理念を思索し思想を構築する。リーダーシップと不可分の戦略や構想を描くにも一定レベル以上の言語能力は不可欠である。
 盟友をトカゲのシッポ切りのような形で引導を渡すしかなかったのも、その背景たる路線闘争を戦い抜くための戦略や構想を持ちえなかったのも、一に首相のこの言語能力の未熟さのなせる技と思えて仕方がない。

障子の張替え2009年06月14日

 我が家の唯一の和室である1階四畳半の障子の破れを目にした。今の住いに越してきて27年目になる。家内に聞いてみると今まで2回障子の張替えをしたという。7~8年に1回のペースである。そろそろ張替えの時期らしく張替え用の障子紙も用意してあるという。
 そんなわけで今日の昼から2枚の障子の張替えとなった。といっても過去2度の張替えに記憶はない。遊びに来ていた家内の父親がやっていてくれたようだ。その義父は90歳を越えて施設に入居中である。リタイヤ後の私に逃れる口実はどこにもない。出番を覚悟した。
 家内が午前中に古い障子紙をはがし、桟を水洗いして干してあった。いよいよ共同作業が始まる。障子一枚分の幅の障子紙を桟の上部に当てて位置決めをする。添付のシールで仮止めをしてから家内がチュウブ入りの糊で桟に糊付けをする。糊付けを終えた後、上下に紙を当てて上から順に、真中から左右に抑えていく。糊が乾いた頃を見計らってカッターナイフではみ出した紙を切っていく。霧吹きで満遍なく水を吹きかけておく。しばらくして紙が乾くと見事に紙がピンと張りつめる。
 一連の手順を手伝いながら、子供の頃の障子張りの思い出が甦った。古い障子紙をコブシで思う存分破り放題する快感にはしゃいだものだ。その後、張替えの手伝いをさせられた。当時の実家には10枚以上の障子があった。障子紙も桟を二三段カバーする程度の狭い幅のもので、何段かに分けて張っていた筈だ。チュウブ式の糊などもある筈もない。母親が準備したご飯の残りを糊にしたものを使用していた記憶がある。今思えば母親は大変な作業をこなしていたのだと思う。
 障子紙の張りつめた緊張感を眺めながら、子供の頃の竹ひごで作ったゴム飛行機づくりを思い出した。竹ひごの翼に糊付けし、薄紙をそっと張りつけていく。霧吹きで水分を含ませる。翼が張りつめていくに従って愛機の雄姿が出来上がっていく。楽しい思い出だった。

初めての海外旅行はソ連だった2009年06月15日

 五木寛之の「蒼ざめた馬を見よ」を読んでいる。この間読んだ「さらばモスクワ愚連隊」もそうだったが、五木寛之の初期の作品には、今は亡きソ連を舞台にしたものが多い。15歳で朝鮮から引揚げる際のソ連兵との関わりがよほど印象深かったのだろうか。その後彼は20歳で早稲田大学文学部ロシア文学科に進み、33歳でソ連、北欧の旅に出る。
 彼のソ連を舞台とした初期作品を再読しながら、しばしば文庫本から目を離し物思いにふけってしまう。小説で描写された舞台がしばしば私の思い出を甦らせてしまう。私の初めての海外旅行はソ連への半ば公式の訪問だった。
 当時私は結成後数年を経た労組の書記長だった。友好関係にあった労組の繋がりで、その労組の親会社労組が派遣する訪ソ団の一員として訪問した。33年前の8月1日、総勢19名の訪ソ団がソ連国営航空「アエロフロート」でモスクワに向った。14日までの2週間、職場交流と観光を中心に、モスクワ市、バルト海沿岸のラトヴィアのリガ市、レニングラード市の3都市を訪問した。
 帰国後、公式報告を機関紙に3回にわたって綴った。とはいえ公式報告には書けない様々なドラマを体験した。31歳の恐れを知らぬ年齢が招きよせたドラマだった。五木作品を読みながら、いつかそのドラマをベースに創作をモノにしたいという想いが募る。その想いが読書を中断させる。書けるだろうか。

公智神社の珪化木と西川のホタル2009年06月16日

 昨日、地区センターの図書館分室で西宮市立総合教育センター発行の「北部の自然」という本を借りた。山口を含む北部の地形、植物、生き物などの自然をまとめたものである。地形・地質の章に掲載された「公智神社の珪化木」の写真に見覚えがあった。確か境内の日本庭園にあった庭石の筈だ。
 今朝の早朝ウォーキングの行き先を公智神社とした。行って見ると確かに写真と同じ石があった。これが珪化木だったのか。珪化木については徳風会館の展示説明で「300万年前頃、山口周辺は古神戸湖といわれる湖の湖岸の森林だった。当時活発だった火山活動で大量の火山灰が降り、火山灰に埋まった木々が細胞内に火山灰中のケイ酸分が浸透し、中身が入れ変って化石化したもの」とある。要するに木の化石ということらしい。
 帰路、神社すぐ東側の西川沿いの桜トンネルの小道を歩いていた時だ。街灯の柱に幼い文字が書かれた紙が貼ってある。「ホタルの季節が終るまでこの街灯を取り替えないで下さい。ほたる大好きな子」とある。切れた街灯の交換を待って欲しいということのようだ。ヘ~ッこの付近の西川ではホタルが育つんだ。そう思ってあらためて川面を見ると、確かに中州があり対岸の畑には草叢が繁っている。畑で野良仕事をしていたおじさんに「この辺りの西川ではホタルがいるんですか?」と尋ねた。「ここんところ、結構たくさん飛んでるな~」とのこと。2週間ばかり前に公民館講座で聞いた本田さんの「ホタル講座」では三方コンクリートの西川ではホタルは生息できないとのことだった。ところが西川でも川下の川底に土砂が堆積し周辺に田畑等の環境が整えば生息可能なのだと知った。幼子の張り紙が意外な情報をもたらしてくれた。

楕円的思考2009年06月17日

 最近、ハッとさせられ、目から鱗の想いを抱かされた言葉がある。五木寛之著「百寺巡礼・第6巻」に梅原猛氏の著述として紹介されている「円的人間と楕円的人間」という言葉だ。
 『梅原猛氏は、「円的人間」と「楕円的人間」という二つの人間のタイプを挙げている。(中心がひとつである円的人間のように)宗教家なら宗教家として、政治家なら政治家として純粋であるという人間はわかりやすい。それに対して、楕円的人間は中心が二つあり、あるときには一方に、あるときはもう一方に偏して動揺をつづける。そのため、円的人間に比べて行動がわかりにくい点があるが、行動範囲が大きくて、円的人間には到底不可能な巨大な事業をなすことができる、という。(中略)空海は二つの中心を持つ楕円的人間だ、と梅原氏は指摘していた。』
 この言葉に触発されて、様々の事象に対する自分のこれまでの思考の揺れを素直に受入れようと思った。例えば数年前、私はグローバリズムの信奉者だった。今は行き過ぎたグローバリズムがもたらした弊害に危機感をもち、むしろローカリズムこそあらためて見直されるべきと考えている。そしてその地域へのこだわりがHP「にしのみや山口風土記」への傾斜を強めている。とはいえグローバリズムのもたらした果実や成果を否定するつもりはない。二極の間で揺れ動く自分の心情をありのままに受入れようと思う。何事も裏表がある。自分にとって都合の良い何れかのみを受け入れ、他方を排除する思考こそが問題なのだろう。
 自分を楕円的人間だとは思わない。むしろタイプとしては「円的人間」に近いと思う。それだけに物事の二面を一方にのみ偏することなく見つめ受入れていく「楕円的思考」を大切にしたい。

五木寛之著「蒼ざめた馬を見よ」2009年06月18日

 五木寛之著「蒼ざめた馬を見よ」を読んだ。直木賞を受賞した表題作と著者の初期作品全5篇を収めた文庫本である。 
 五木作品のタイトルの妙にはいつも感心させられる。「蒼ざめた馬を見よ」などタイトルだけで読んでみたいという気にかられる。何かしら胸騒ぎを覚えてしまうのだ。この言葉は作品の冒頭近くに登場する。「われ蒼ざめたる馬を見たり。その馬にまたがれる者の名を死と言う。冥府その後にしたがえたり。(中略)私たちは、人間が見てはならない蒼ざめた馬を見てしまった世代なのだ。それは数限りない死の影です。革命、内乱、戦争、建設、粛清、反動・・・ロシアが体験したこの半世紀は、人類の苦難と栄光の歴史の縮図です」。
 この作品のテーマと背景を見事にあらわした一文である。私たちの世代なら想像可能な当時のロシア世界を引きずり出している。読者はソ連の文学界がギリギリのところで描くことをやめた「歴史の暗い真実」を描いた老作家の苦悩に付き合わされる。史上最初の社会主義・ソ連の栄光と影を思い遣る。ところが作者はそんな読者の気分を打ちのめすようにどんでん返しの結末をもって読者に報いる。それが直木賞受賞たるゆえんなのかもしれない。ただ個人的にはそれは「煮え湯を呑まされた」感が拭えない。
 むしろ文庫本20頁ほどの短編「赤い広場の女」が良かった。発展途上のソ連の心臓部であるモスクワを舞台にそのエネルギッシュな風景をバックに重い過去を引きずった男と女の出会いの物語である。軽妙なストーリー展開とともにその結末を導く「鮮やかな物語」が秀逸である。「リューバのように帰って行く過去も持たず、潮見のように賭けるべき明日も信じないおれは、いったいどこへ行くのだろう」という主人公の呟きが心に沁みる。

ローカリズムと「ふるさと発見」2009年06月19日

 ある方から山口町中野の旧国鉄有馬線の橋脚跡の保存問題のその後の動向を知らせてもらった。地元のボランティア組織の代表者たちの存続を訴える動きに、県の当局も一定の動きが出てきたとのことだ。予断は許さないようだが、何とか存続する形で決着を望みたい。そのための可能な支援を自分なりに探ってみよう。
 リーマンショックに始まる金融危機が、行き過ぎたグローバル経済の負の部分を露呈させた。一極集中の経済システムが地方経済を疲弊させている。開発優先の施策が地域の自然や文化を損なっていると指摘されて久しい。地域の自然、生活、文化、風土、歴史を重視したローカリズムとのバランスが今こそ語られるべきではないか。
 高齢化社会を迎えてお年寄たちが主役となる舞台がある。ふるさとの歴史や伝承はお年寄りにしか聞けない。「ふるさと発見」をキーワードにあらためて「地域」を見つめ直す時期がきている。中野の橋脚跡の存続は、単に構造物や風景の存続だけを意味するのではない。子供たちに伝えるべき地域の歴史と文化の存続でもある。昨晩、青愛協の会合でその点について訴えた。

 個人的にも地域へのこだわりをHPで表現し続けたいと思っている。昨日、HP「にしのみや山口風土記」に「山口の生き物たち」であるホタルとモリアオガエルをアップした。
ホタル http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-sizen-ikimono-hotaru.htm
モリアオガエル http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-sizen-ikimono-kaeru.htm

知ることは愛すること2009年06月20日

 昨日、HP「にしのみや山口風土記」の「山口の水鳥・野鳥」をアップした。散歩道で撮り貯めた鳥たちの画像と、NETの鳥図鑑の画像をつき合わせて名前を確認する。ウィキペディアで鳥たちの分布や生態を調べる。今まで漫然と眺めるだけだった鳥たちが俄かに身近になる。何時間も費やした楽しい作業だった。
http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-sizen-ikimono-tori.htm
 そして今朝の散歩道である。有馬川にカモを見つけた。黄色いクチバシがマガモであると教えてくれる。頭に二本の冠羽根をつけたコサギがいた。水田では灰色の大きなアオサギがドジョウをついばんでいる。竹薮のあちこちでウグイスの鳴き声が聞こえる。竹薮の虫を探しているのだろう。「梅にウグイス」という言い方は間違っているようだ。梅によく止まっているのは梅の花の蜜を好むメジロだ。
 何気なく見たり聞いたりしていた鳥たちの姿や鳴き声が、具体的なイメージを持って迫ってくる。それにあわせるように愛おしさが募ってくる。「知ることは愛すること」であることをあらためて教えられる。