高橋克彦著「時宗(巻の参・震星)」2015年12月06日

 第参巻は、得宗となった時宗と異母兄の庶子・時輔との会話で幕を開ける。極めて示唆に富んだやりとりである。時輔は父・時頼にとっての実時の役割を時宗に対して果たすと告げる。北条一族の重鎮で時頼の叔父・実時は幕府随一の切れ者の実力者と衆目が一致する人物である。それだけに時頼は頼りとしたが決して重い地位は与えなかった。合議の際の軸を一本にしておくことこそが政(まつりごと)の要諦として実時をあくまで相談役に徹してもらうこととした。誰もがその優れた力量を認める時輔が異母弟の嫡男・時宗に自らの役回りを告げる。
 北条家得宗となった若干14歳の時宗はすぐには執権には就任しない。執権職の大叔父・正村を補佐する立場の連署として政所に参画する。ところが相変わらず内裏から迎えた将軍が北条一族の一部と結託して反旗の陰謀を巡らす。執権が将軍となることが叶わない、飾り物でも将軍を迎えなければならない鎌倉幕府の政権構造の矛盾が語られる。「力の大小はあっても御家人は将軍の下で対等。それを崩せば御家人の結束が失われる。北条が将軍を形だけでも立てることによって他の御家人らの均衡が保たれる」。その内紛も時宗らの働きで将軍退位という決着でようやく納まる。
 1267年、恐れていた蒙古の日本に服従を迫る使者が遂にやってくる。鎌倉幕府は内裏の意向を前面に立てて使者を追い返す。その翌年、時宗は18歳の若さで執権に就任する。執権・時宗の最初の大仕事は全国の御家人を集めて蒙古襲来の危機を伝え、その備えを促すことだった。そして再び蒙古からの使者がやってくる。返書がなければ戦も辞さずと強硬姿勢である。いよいよ蒙古襲来の危機が迫ってきた。

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