みんなまあるくタケモトピアノ~♪2015年12月11日

 乳児を抱えた家庭の困り事は、何といっても泣きやまない赤ちゃんのむずかりだろう。一旦泣きはじめたらどうにも止まらない。母親をはじめ周りの家族たちは途方に暮れて、何とか泣きやませる方法はないものかとあれこれやってみる。我が家の花ちゃんを巡るテンヤワンヤも然りである。
 財津一郎のタケモトピアノのCMを聞くと赤ちゃんが泣きやむという噂を耳にしたことがある。藁をも掴む想いでネット検索した。あるある。赤ちゃんが一発で泣きやんだ等の口コミが結構ある。中には赤ちゃんが本能的に振り向く音が詰まっているとか財津一郎の声が赤ちゃんに心地よい音域の声であるとかの解説もある。CMの30分連続バージョンの動画まで提供されていたのには驚いた。
 早速、泣きやまない花ちゃんを抱っこしてパソコンデスク前の椅子に座ってCM連続バージョンを聞かせた。一瞬、キョトンとした顔つきになって泣きやんだ。ただ長くは続かない。再び泣き始める。何度かやってみたが同じ効果だった。
 ちなみに我が家には市販の泣きやみグッズがある。プラスティックの透明ケースに10個の小さな玉が入っているキティちゃんのキャラクターグッズである。手で降るとガチャガチャと音が出る。こちらの方が比較的効果は長い。それでも花ちゃんが飽きてくるのか再び泣き始める。そのまま眠りに落ちることはない。
 思うに、特殊な音に敏感な赤ちゃんは瞬間的に泣くことを忘れて注意を向ける。その音が複雑であるほど持続力は長い。ただ複雑さを聞き分けるだけの歳月は必要だ。一カ月にも満たない花ちゃんにCMの複雑さを聞き分ける感性はない。単純なガチャガチャ音の方が有効なのだろう。
 花ちゃんをあやしながら、その泣き声に途方にくれながらじいちゃんの奮闘が続く。

山口中学トライやる・ウィーク事前学習のプレゼン2015年12月12日

 昨日の午後、恒例となった地元中学校のトライやる・ウィーク事前学習のプレゼンを行った。毎年1年生対象に実施し今回で4回目を数える。生徒たちがトライやるで地域に出かけるにあたって地域の勉強をしておこうという趣旨である。
 1時40分から中学校の体育館で180名ほどの生徒たちを対象にパワーポイント作成の「ふるさと山口」を語った。プロジェクターで投影された舞台上の大型スクリーンの画像中心のプレゼンである。4回目とあってかなり慣れてきた。内容もほぼ頭に入っている。「山口はどんな町」「自然と生き物」「歴史と伝統」「新たな息吹」という四つのパーツ21シートの構成である。予定の45分ちょどで終えた。
 その後、いくつかの質問を受けた。事前に生徒たちがクラス毎に話し合った項目である。「山口町で一番古い建物は?」「一番有名なものは?」「北六甲台の天上公園にあった公智神社が今の場所に移ったのはなぜか?」等々である。
 担当の先生からまとめの話があった。県内中央の山里出身の先生の口から「自分の中学時代にもこのようなふるさとの話を聞いておきたかった」という嬉しいコメントを聞いた。そのことこそが私の願いである。グローバル社会が進展するほどに、拠って立つポジション(アイデンテティ)が求められる。その大きな要素に「ふるさと」がある。ところが今日の学校教育のカリキュラムにはふるさとを語る場面はほとんどない。山口に育った子どもたち全員が一度は「ふるさと山口」を聞く機会があってほしい。山口中学のトライやる・ウィーク事前学習のプレゼンの機会はそんな想いを叶えてもらえる絶好の場である。

老人ホームのもちつき大会2015年12月13日

 住宅街に隣接する特別養護老人ホームのバザーともちつき大会のイベントがあった。コーディネーターをしているボランティアセンターに毎年ボランティアの派遣要請がある。調理応援の女性陣だけでなく、もちをつく男性陣数人の要請もある。今回はちょい呑みオヤジ会の3人のオジサンが手伝った。この施設は福祉ネット北六甲のオブザーバー事業者でもある。そんな関わりもあって、お手伝いする余裕はなかったが、取材がてらに見学にでかけた。
 10時過ぎに会場に行くと、もうもちつき大会が始まっていた。オヤジ会の面々が頭にバンダナを巻きエプロン姿で臼の周りでスタンバイしている。その周囲を車椅子に乗った大勢の入所者の皆さんが取り囲む。さらにその周りを駆けつけた入所者の家族の方々が見守っている。司会役の職員の進行でヨイショ、ヨイショの掛け声に合わせてもちをつく。途中、入所者のひとりが車イスにのったまま杵をつく。和やかなひと時が流れていく。
 介護施設の人不足が叫ばれて久しい。2025年には全国で43万人にものぼると言われる介護難民の最大の理由は介護職不足である。訪問したこの施設でも人不足の深刻さを施設長から聞かされた。こうした施設のイベント開催はスタッフに多くの負担をかけているに違いない。それでも入所者にとっては淡々とした日常生活に潤いをもたらす催しとして欠かせない。地域の住民ボランティアたちの支援が施設イベントを支える貴重な戦力となっている現実を目の当たりにした。

民生委員冥利につきる出来事2015年12月14日

 先日、民生委員の担当地区のおばあちゃんが亡くなった。フルタイム勤務の息子さん夫婦と大学生のお孫さんの三世代同居である。昼間はおじいちゃんと二人だけの高齢世帯だった。9月に高齢者実態把握調査でお話ししたばかりだ。軽い認知症状が出始めたおじいちゃんが気がかりだという心配をお聞きしていた。「症状が進みだしたらいつでも声をかけて下さい」とお伝えしていた。
 昨日、その息子さん夫婦が来訪された。おじいちゃんのことがよほど気がかりだったのだろう。亡くなる前におばあちゃんから、おじいちゃんことを民生委員の私に相談するよう伝言があったという。葬儀を終えて気落ちした様子のおじいちゃんの今後についての相談だった。
 食卓を囲んで1時間ばかり懇談した。おばあちゃんの伝言を聞きながら民生委員の私への信頼が伝わった。民生委員冥利に尽きる。おじいちゃんについては昼間にひとり住まいとなることによるひきこもりが心配だ。認知症の加速化が懸念される。まずはあんしん窓口を訪ねて介護認定の手続きを進めデイサービスに行けるようにしておくことをお勧めした。その上で老人会にも参加してもらい憩の家に出かけたり旅行に参加するようにしてはどうか。ちょい呑みオヤジ会で同年代と呑み交わすという選択肢もあると提案した。
 しっかり者で世話好きなおばあちゃんに頼り切っていたおじいちゃんのようだ。それだけにおじいちゃんはじめ家族の戸惑いは大きい。おじいちゃんの新たな人生の始まりをどれだけカバーしておばあちゃんの想いに応えられるだろうか。

ギャー泣き2015年12月15日

 外出から帰宅してリビングのドアを開けた。正面のソファーで娘が抱っこした花ちゃんにかぶさるようにして眠っていた。花ちゃんもママの膝で安心しきったように爆睡中だった。母娘のその姿に至るまでの光景が目に浮かんだ。
 お乳を終えた後、花ちゃんはすんなりと眠ってくれるわけではない。時には手がつけられないほどむずかることもある。ギャーギャー、ウンガーウンガーと顔中をくしゃくしゃにして泣き叫んだかと思えば、ヒーヒーと悲し気な声で涙ながらに訴える。思い切り背中を突っ張って手足をばたつかせる。娘はそんな花ちゃんの本気モードのむずかりを「ギャー泣き」と称してビビッている。かくいうじいちゃんも何度かその事態に遭遇し途方に暮れたものだ。それでもじいちゃんの場合は最後は娘にバトンタッチできる。母である娘は逃れられない。
 ソファーで眠る母娘の姿は、その前のギャー泣きの後の泣き疲れた花ちゃんを連想させた。泣き疲れて眠りに落ちた花ちゃんに誘われて一緒に眠りに落ちた娘の姿を連想させた。
 それでも娘と花ちゃんは恵まれている。里帰り出産でじいちゃんばあちゃんのひと時の救いがある。都会の一室でひとりで赤ちゃんと向き合う母子家庭の若いママもいる。ギャー泣きする我が子に疲れ果てているママの気持ちを思い遣った。「育児放棄」という言葉が若いママにふとよぎったとしても不思議はない。民生委員・児童委員という役職がどこまでそうしたママの救いになれるだろう。

介護者の会での出会い2015年12月16日

 昨日の午後、住宅街の介護者の会があった。いつもの介護当事者5人とサポーター4人が参加した。サポーターのおひとりは介護ボランティアに関心をお持ちの40代女性で初参加だった。
 介護者の会で突っ込んだお話ができた。10月に開催した社協主催の認知症サポーター養成講座に参加し初めて地域との繋がりができたとのことだ。講座の後、ボランティアセンター発行のボランティア便りをみてご夫婦でボランティア登録をして頂いたという。今はフルタイムの現役だが将来は自宅を開放して、介護者とご本人対象の「つどい場」を開きたいとなんとも積極的である。同じ40代のご主人も地域活動には積極的なのでちょい呑みオヤジ会にも誘ってみたいとのこと。ご主人も交えた懇談の機会を持つことになった。
 もうひとつの出会いがあった。介護者の会のメンバーで50代の女性である。かねてから実母介護の貴重な体験を率直に話してもらい、その問題意識の高さと的確な情報提供に敬服していた方だ。今回の会で初めてじっくり話ができた。社協の広報紙への介護体験の原稿を依頼したところ快く引き受けて頂いた。介護離職されたが現役時代は長い海外留学を活かして英会話実務の仕事をされていたようだ。今もご近所のお年寄り対象にささやかな講座を持っておられる。お年寄り対象のトラベル英語などの講座開催等も話題にできた。いつか彼女の「介護体験」をテーマとした社協の福祉講座を開催したいとふと思った。
 月一回の介護者の会は様々な貴重な情報とともにかけがえのない出会いを運んでもらえる場でもある。

病院・・・社交の場2015年12月17日

 前立腺がんを調べるPSA検査を定期的に受けている。これまでの検査では基準値の4.0の前後をさまよっている。前回8月の検査で4.04と基準値を微妙に超えた。基準値を超えるとドクターから前立腺針生検(せいけん)という前立腺の組織を切り取って、顕微鏡で調べる検査を勧められる。一度受けたことがあるが何とも苦痛で気持ちの悪い検査である。今回は越えた数値がわずかであり、次回の検査結果によって生検実施の是非を判断することになった。
 今日の検査結果は2.84と大きく改善された。PSA数値はアルコールに敏感に反応するようだ。前日の飲酒は禁止されている。ならばここは生検を避けるためにも前日と言わずもっと早くから禁酒すればいい筈と考えた。好きなビールも背に腹は代えられない。3日間の断酒の結果の数値である。気をよくして帰宅して昼食前に缶ビールを空けた。
 待合室で知人お二人に遭遇した。同じ住宅街の同世代のオヤジさんたちだ。奇しくもお二人とも私の公民館講座の受講者だった。前回の道場散策講座の話題に花が咲いた。歳を重ね病院通いが日常生活に比重を占めてくる。これまでも同じ病院内でしばしば知人と顔を合わせた。高齢者たちにとって病院は格好の社交の場となる。

市の民生委員会広報紙第2号の編集2015年12月18日

 昨日、市の民生委員会の広報紙分科会があった。会議は広報紙第2号の編集がテーマだった。9月1日付で創刊号を発行し、第2号は来年3月1日付発行予定である。
 発行予定の3月頃から3年任期の民生委員の一斉改選の作業が始まる。第2号は一斉改選を特集テーマとして編集している。一面では「民生委員の一斉改選――セカンドライフの魅力的な役職――」を見出しにして、子育て卒業母さん、リタイヤおじさんを対象に、民生委員という役職がそれぞれの第二の人生を豊かにする魅力的な役職であると訴えた。第3面では「ある民生委員の活動日記」と題して、自身のこれまでの民生委員としての八つの活動事例を日記風まとめた。この記事を通して読者に民生委員は日頃どんなことをしているのか、その具体的なイメージをつかんでもらうためである。一斉改選に当たって広報紙第2号が人材発掘のための良い材料を提供したいという想いが強い。
 幾つかの修正を加えながら12月24日開催の広報部会提案の紙面内容のタタキ案が固まった。会議後、近くの居酒屋に第2分科会の忘年会にでかけた。昨年10月以来、8回の会を重ねた分科会である。それぞれに個性豊かで前向きなメンバーである。おかげで過去発行が叶わなかった市の民生委員会広報紙が創刊され、第2号の発行もメドがついた。良きメンバーたちと美味しい盃を酌み交わした。

若い世代との新鮮な出会い2015年12月19日

 今日、住宅街のカフェで先日の介護者の会で出会った女性とご主人も交えて懇談した。私の長男と同世代である。子育て中でもあり小学生の男の子同伴の懇談だった。
 二回りほども歳の差のあるお二人だが、地域活動やボランティアについての考え方は驚くほど共有できた。それ以上にこんな若い世代がこれほどに地域福祉に関心を寄せ、積極的に関わりたいという姿勢に新鮮な驚きがあった。お二人の想いを受け止めながら地域活動の現状やボランティア組織の実情をお伝えした。
 自営業のご主人は比較的時間の融通がつくとのことだ。ご夫婦で晩酌も楽しんでいるとのこと。早速、ご主人に「ちょい呑みオヤジ会」への参加を打診した。二つ返事で了承して頂いた。前回も40代前半の独身男性の参加があり二人目の若い参加者だ。オヤジ会もリタイヤ世代ばかりでない。幅広い世代の男性の参加者を得て一層の広がりが期待できそうだ。
 気がつけば2時間半近くが経っていた。地域での様々な出会いと新たな繋がりづくりに確かな手応えを実感した。

高橋克彦著「時宗(巻の四・戦星)」2015年12月20日

 高橋克彦の「時宗」の最終巻(巻の四・戦星)を読み終えた。「時宗」の標題に連想される史実故にこの作品を読むことに多少の抵抗感があった。 多くの日本人の脳裏には、日本史上最大の国難・元寇は、「神風」によって救われ、神国・日本の神話の根拠となった出来事として刻まれている。それは第二次大戦に突き進むバックボーンとなった「神国思想」を連想させた。過去しばしば時宗は神国日本を背負った英雄として描かれた。
 完結編を読み終えてこうした予断は見事に裏切られた。作者は文永・弘安という二度の蒙古軍の襲来を、北条時頼、時宗親子を中心とした鎌倉幕府による長期にわたる周到な準備を整えた上で迎え撃った戦さとして描いている。
 18歳で第8代執権職となった時宗は、2度にわたる蒙古軍との闘いのためだけに費やされたと生涯と言って過言でない。執権職を継承したその年にクビライの蒙古への服属を求める国書が鎌倉に届けられる。その6年後に文永の役を迎えてこれを撃退し、さらにその7年後に訪れた弘安の役でも総力を挙げた迎撃戦の末の台風で蒙古軍を壊滅させる。その3年後に時宗は34歳の若さで唐突にその生涯を終える。
 たった4頁の最終章「涼風」に、時宗を評した印象的な文章がある。「この戦さを成すために天が授け、そして天に戻された者であったような気がしてならない。時宗の34歳の生涯は戦を道連れにしたものだったのだ。そして、役目を果たしたゆえに天は静かに時宗を迎えたのではないか?」。